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一寸怪
ちょいとあやし |
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作品ID | 47337 |
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著者 | 泉 鏡花 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「文豪怪談傑作選・特別篇 百物語怪談会」 ちくま文庫、筑摩書房 2007(平成19)年7月10日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2007-12-09 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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怪談の種類も色々あって、理由のある怪談と、理由のない怪談とに別けてみよう、理由のあるというのは、例えば、因縁談、怨霊などという方で。後のは、天狗、魔の仕業で、殆ど端睨すべからざるものを云う。これは北国辺に多くて、関東には少ない様に思われる。
私は思うに、これは多分、この現世以外に、一つの別世界というような物があって、其処には例の魔だの天狗などという奴が居る、が偶々その連中が、吾々人間の出入する道を通った時分に、人間の眼に映ずる。それは恰も、彗星が出るような具合に、往々にして、見える。が、彗星なら、天文学者が既に何年目に見えると悟っているが、御連中になると、そうはゆかない。何日何時か分らぬ。且つ天の星の如く定った軌道というべきものもないから、何処で会おうかもしれない、ただほんの一瞬間の出来事と云って可い。ですから何日の何時頃、此処で見たから、もう一度見たいといっても、そうは行かぬ。川の流は同じでも、今のは前刻の水ではない。勿論この内にも、狐狸とか他の動物の仕業もあろうが、昔から言伝えの、例の逢魔が時の、九時から十一時、それに丑満つというような嫌な時刻がある、この時刻になると、何だか、人間が居る世界へ、例の別世界の連中が、時々顔を出したがる。昔からこの刻限を利用して、魔の居るのを実験する、方法があると云ったようなことを過般仲の町で怪談会の夜中に沼田さんが話をされたのを、例の「膝摩り」とか「本叩き」といったもので。
「膝摩り」というのは、丑満頃、人が四人で、床の間なしの八畳座敷の四隅から、各一人ずつ同時に中央へ出て来て、中央で四人出会ったところで、皆がひったり座る、勿論室の内は燈をつけず暗黒にしておく、其処で先ず四人の内の一人が、次の人の名を呼んで、自分の手を、呼んだ人の膝へ置く、呼ばれた人は必ず、返事をして、また同じ方法で、次の人の膝へ手を置くという風にして、段々順を廻すと、恰度その内に一人返事をしないで座っている人が一人増えるそうで。
「本叩き」というのは、これも同じく八畳の床の間なしの座敷を暗がりにして、二人が各手に一冊宛本を持って向合いの隅々から一人宛出て来て、中央で会ったところで、その本を持って、下の畳をパタパタ叩く、すると唯二人で、叩く音が、当人は勿論、襖越に聞いている人にまで、何人で叩くのか、非常な多人数で叩いている音の様に聞えると言います。
これで思出したが、この魔のやることは、凡て、笑声にしても、唯一人で笑うのではなく、アハハハハハと恰も数百人の笑うかの如き響をするように思われる。
私が曾て、逗子に居た時分その魔がさしたと云う事について、こう云う事がある、丁度秋の中旬だった、当時田舎屋を借りて、家内と婢女と三人で居たが、家主はつい裏の農夫であった。或晩私は背戸の据風呂から上って、椽側を通って、直ぐ傍の茶の間に居ると、台所を片着けた女中が一…