えあ草紙・青空図書館 - 作品カード
楽天Kobo表紙検索
三尺角
さんじゃくかく |
|
作品ID | 4739 |
---|---|
著者 | 泉 鏡花 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「鏡花全集 第四巻」 岩波書店 1941(昭和16)年3月15日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 小林繁雄 |
公開 / 更新 | 2003-11-23 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 22 ページ(500字/頁で計算) |
広告
広告
一
「…………」
山には木樵唄、水には船唄、驛路には馬子の唄、渠等はこれを以て心を慰め、勞を休め、我が身を忘れて屈託なく其業に服するので、恰も時計が動く毎にセコンドが鳴るやうなものであらう。また其がために勢を増し、力を得ることは、戰に鯨波を擧げるに齊しい、曳々!と一齊に聲を合はせるトタンに、故郷も、妻子も、死も、時間も、慾も、未練も忘れるのである。
同じ道理で、坂は照る/\鈴鹿は曇る=といひ、袷遣りたや足袋添へて=と唱へる場合には、いづれも疲を休めるのである、無益なものおもひを消すのである、寧ろ苦勞を紛らさうとするのである、憂を散じよう、戀を忘れよう、泣音を忍ばうとするのである。
それだから追分が何時でもあはれに感じらるゝ。つまる處、卑怯な、臆病な老人が念佛を唱へるのと大差はないので、語を換へて言へば、不殘、節をつけた不平の獨言である。
船頭、馬方、木樵、機業場の女工など、あるが中に、此の木挽は唄を謠はなかつた。其の木挽の與吉は、朝から晩まで、同じことをして木を挽いて居る、默つて大鋸を以て巨材の許に跪いて、そして仰いで禮拜する如く、上から挽きおろし、挽きおろす。此度のは、一昨日の朝から懸つた仕事で、ハヤ其半を挽いた。丈四間半、小口三尺まはり四角な樟を眞二つに割らうとするので、與吉は十七の小腕だけれども、此業には長けて居た。
目鼻立の愛くるしい、罪の無い丸顏、五分刈に向顱卷、三尺帶を前で結んで、南の字を大く染拔いた半被を着て居る、これは此處の大家の仕着で、挽いてる樟も其の持分。
未だ暑いから股引は穿かず、跣足で木屑の中についた膝、股、胸のあたりは色が白い。大柄だけれども肥つては居らぬ、ならば袴でも穿かして見たい。與吉が身體を入れようといふ家は、直間近で、一町ばかり行くと、袂に一本暴風雨で根返して横樣になつたまゝ、半ば枯れて、半ば青々とした、あはれな銀杏の矮樹がある、橋が一個。其の澁色の橋を渡ると、岸から板を渡した船がある、板を渡つて、苫の中へ出入をするので、此船が與吉の住居。で干潮の時は見るも哀で、宛然洪水のあとの如く、何時棄てた世帶道具やら、缺擂鉢が黒く沈むで、蓬のやうな水草は波の隨意靡いて居る。この水草はまた年久しく、船の底、舷に搦み附いて、恰も巖に苔蒸したかのやう、與吉の家をしつかりと結へて放しさうにもしないが、大川から汐がさして來れば、岸に茂つた柳の枝が水に潛り、泥だらけな笹の葉がぴた/\と洗はれて、底が見えなくなり、水草の隱れるに從うて、船が浮上ると、堤防の遠方にすく/\立つて白い煙を吐く此處彼處の富家の煙突が低くなつて、水底の其の缺擂鉢、塵芥、襤褸切、釘の折などは不殘形を消して、蒼い潮を滿々と湛へた溜池の小波の上なる家は、掃除をするでもなしに美しい。
爾時は船から陸へ渡した板が眞直になる。これを渡つて、今朝は殆ど滿潮…