えあ草紙・青空図書館 - 作品カード
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![]() さんじゃくかくしゅうい |
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作品ID | 4740 |
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副題 | (木精) (もくせい) |
著者 | 泉 鏡花 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「鏡花全集 第四巻」 岩波書店 1941(昭和16)年3月15日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 小林繁雄 |
公開 / 更新 | 2003-11-23 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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「あなた、冷えやしませんか。」
お柳は暗夜の中に悄然と立つて、池に臨むで、其の肩を並べたのである。工學士は、井桁に組んだ材木の下なる端へ、窮屈に腰を懸けたが、口元に近々と吸つた卷煙草が燃えて、其若々しい横顏と帽子の鍔廣な裏とを照らした。
お柳は男の背に手をのせて、弱いものいひながら遠慮氣なく、
「あら、しつとりしてるわ、夜露が酷いんだよ。直にそんなものに腰を掛けて、あなた冷いでせう。眞とに養生深い方が、其に御病氣擧句だといふし、惡いわねえ。」
と言つて、そつと壓へるやうにして、
「何ともありはしませんか、又ぶり返すと不可ませんわ、金さん。」
其でも、ものをいはなかつた。
「眞とに毒ですよ、冷えると惡いから立つていらつしやい、立つていらつしやいよ。其方が増ですよ。」
といひかけて、あどけない聲で幽に笑つた。
「ほゝゝゝ、遠い處を引張つて來て、草臥れたでせう。濟みませんねえ。あなたも厭だといふし、其に私も、そりや樣子を知つて居て、一所に苦勞をして呉れたからツたつても、※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「ノ」)、「姉」の正字」、U+59CA、715-2]さんには極が惡くツて、内へお連れ申すわけには行かないしさ。我儘ばかり、お寢つて在らつしやつたのを、こんな處まで連れて來て置いて、坐つてお休みなさることさへ出來ないんだよ。」
お柳はいひかけて涙ぐんだやうだつたが、しばらくすると、
「さあ、これでもお敷きなさい、些少はたしになりますよ。さあ、」
擦寄つた氣勢である。
「袖か、」
「お厭?」
「そんな事を、しなくツても可い。」
「可かあありませんよ、冷えるもの。」
「可いよ。」
「あれ、情が強いねえ、さあ、えゝ、ま、痩せてる癖に。」と向うへ突いた、男の身が浮いた下へ、片袖を敷かせると、まくれた白い腕を、膝に縋つて、お柳は吻と呼吸。
男はぢつとして動かず、二人ともしばらく默然。
やがてお柳の手がしなやかに曲つて、男の手に觸れると、胸のあたりに持つて居た卷煙草は、心するともなく、放れて、婦人に渡つた。
「もう私は死ぬ處だつたの。又笑ふでせうけれども、七日ばかり何にも鹽ツ氣のものは頂かないんですもの、斯うやつてお目に懸りたいと思つて、煙草も斷つて居たんですよ。何だつて一旦汚した身體ですから、そりやおつしやらないでも、私の方で氣が怯けます。其にあなたも舊と違つて、今のやうな御身分でせう、所詮叶はないと斷めても、斷められないもんですから、あなた笑つちや厭ですよ。」
といひ淀んで一寸男の顏。
「斷めのつくやうに、斷めさして下さいツて、お願ひ申した、あの、お返事を、夜の目も寢ないで待ツてますと、前刻下すつたのが、あれ……ね。
深川の此の木場の材木に葉が繁つたら、夫婦になつて遣るツておつしやつたのね。何うしたつて出來さうもないことが出來たのは、私の念が屆いた…