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神賑ひ一般
かみにぎわいいっぱん
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 21」 中央公論社
1996(平成8)年11月10日
初出「明治神宮祭の栞」1949(昭和24)年11月
入力者門田裕志
校正者フクポー
公開 / 更新2019-09-23 / 2019-08-30
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

静かな秋冬が来る。わが国も、幸福な月日が廻つて来て、神の心も明るくなつて来て居られることゝ思ふ。秋からさきは神事が多く、従つて神の心を賑はし申す行事が、社々で行はれる。耳を澄すと、どこの野山、かしこの町中などに、必日毎に神祭りの楽器の音がしてゐる。秋ばかりに限つた事ではないが、此時期にかう言ふ神事の多く行はれるのは、理由のあることである。祭りがあると、芸能めいた所謂神賑ひの行はれるのが普通である。今日の人は、之を余興のやうに思つてゐるが、其は違ふ。祭り自体にとつて、極めて重要な部分だつたのである。
其等の中、特殊なものでない限りは、神楽といふ名で、いろ/\違つた芸能をひつくるめてゐる。まづ総括出来る名目を立てれば、「神遊」と言ふ古い語であらう。神楽はその中の特殊なものを言ふ語で、元はあつたのである。
神遊びは、神の行はれる遊びを言ふ義で、「あそび」と言ふことに意義の中心はある訣である。昔は鎮魂と言つて、人の身に魂を鎮める行事があり、それを行ふ時期があつた。其を行ふ方法も色々あつて、地方々々、家々で、実に多くの鎮魂法が行はれてゐた。併し、其等には皆共通した所があつた。歌をうたひ、楽器を鳴らし、舞踊を行ふことが其である。さうすることによつて、よい魂が人の身に鎮るものと信じてゐたのである。後世は、神事を離れた、遊びと言ふ語が広く行はれることになつたのである。
そんな訣で、冬には何となく、心の温まるやうな神事が行はれるのであつた。鎮魂行事のあつたのは冬の事であつたが、収穫祭が秋、其に続く鎮魂祭が冬と言ふ風に、祭りを中心に時の名を称へたので、秋と言つても、冬の中にもなり、又暦の考へが変つて、秋に行ふ祭りだから、暦の上の秋季にすると言ふやうなことにもなつて、秋冬にわたつて、祭の種類が次第に分化して行つた。さう言ふ神遊びの中に、神楽と言ふ流行を捲き起すものが現れた。平安中期の事である。それ以前から必、神遊びが神事芸能としての享楽方面を拓いて居たには違ひないが、一躍して芸能の喜びを覚えさせるやうになつたのは、神楽が栄え、催馬楽を分出させた頃からであらう。併しこの頃になると、もう、宮廷だけに神事芸能が発見せられたと言ふやうな事ではなく、諸国の社や聖地にも、神事から芸能の歓心が、目ざめて居たのである。東遊、風俗などは、東国から出た痕を明らかに示してゐる。併し詳しく言へば、神事芸能の起原は、此一つに止らない。
相撲などは、神事として、因縁の古い占ひであつた。秋に這入つてまづする農事の占ひは、このすぽうつによる外はなかつた。其が、宮廷にも、諸国の社にも催され、遂に芸能の神事として、人の心に大きな喜びを唆るまでになつたのである。神事から出て芸能化したいろ/\の神賑ひを思ふと、信仰の根深さ、又形を変へて永続する強い意力を感じる。打毬・馬術・賭弓の各種目も同様、神事占ひから出発した痕が認…

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