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感謝すべき新東京年中行事
かんしゃすべきしんとうきょうねんちゅうぎょうじ
副題――第四回郷土舞踊と民謡の会・批判――
――だいよんかいきょうどぶとうとみんようのかい・ひはん――
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 21」 中央公論社
1996(平成8)年11月10日
初出「民俗芸術 第二巻第六号」1929(昭和4)年6月
入力者門田裕志
校正者フクポー
公開 / 更新2018-11-10 / 2018-10-24
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

大体の感想は、日本青年館での合評会で申し述べたから、其機関雑誌「青年」に載る事と思ふ。其を御参照願へれば結構である。たゞ爰では、熱心な傍観者が、日本国中の手のとゞく限りの民俗芸術を、真の意味に於て自分の実証的態度を鍛錬する気組みで見て歩いた、さういつた態度を離さないで、今度も見せて貰つた其感想を記録して置きたいと思ふのである。
まづ演出に対して
日本青年館の此事業に対する毎年の苦労と言ふものは実に感謝に値すると思ふ。ついでは、柳田先生、高野博士、主としては訓練のない田舎の芸術団の為に、骨を削る様な苦労をして下さる小寺融吉さんの努力を、我々会員は協同にねぎらはなければならない気がする。たゞ忌憚のない感じを申すと、あまりに小寺さんの近代的審美感から、極めて僅かではあるが、時々生のまゝの原形をまげて居はしまいかと恐れさせられた事である。しかし、此は東京へ持つて来ると言ふ意識の為に、県庁や村に於て既に大修正を施して居るものが多々あるに相違ないのだから、演出者の潔癖な整理から出て来る僅かな形のひずみぐらゐを問題にしては罰が当ると思ふ。欲を言ふなら、其演出の努力の中心を、舞台効果に置かないで、地方人の謂はれない新意匠の混つて居る点を洞察して、出来るだけ原の姿にひき直させると言ふ点に置かれたいとだけは願はないで居られない。此はこの事業を、民俗的にするか芸術的にするかの大切な岐れ目だと思ふが、恐らく此点では、小寺さんにも迷ひがあり、尊敬する二先輩にも解決がつき切つて居ないのではないかと思うて居る。一例を申すと、今度も淡路の大久保踊りの音頭の服装に就いて、大分我々の間に修正案が出て居たが、結局、つとめて田舎らしい味を出さうと言ふところに落ついたのであつた。だが、此なども、土地では存外田舎らしくない姿をとつて居るのかも知れないのだから、其を我々の心に這入り易い古風にひき直す事は、やはり芸術的に修正するのと同じ欠陥がありさうに思はれる。どの道、民俗芸術と言ふものは、都会式な、我々の欲しないでかだんすをも滋養分として常にとり込んで行つて居るので、其が同時に発達の動力にもなつて行くのであるから、此点に考慮なく、たゞ我々の趣味に叶ふ古典味を附加しようとする事は、多少本質的の誤りを含んでは居ないかと思ふのである。
尚一言、芸術的態度に就いて申したい。青年館の立ち場からすれば、新しい綜合芸術を田舎生活へ与へようとする点に、意義を見出しても居られるのであらうが、我々から申すと、其ならば今少し大胆な修正を加へていゝと思ふ。しかし、さうした修正は、うつちやつて置いても、刻々に地方々々で行うて居るのであるから、此催しでは、たゞ地方造型美術の展覧会を開く意味に於て、あまり芸術的と言ふところに目標を置いて戴かない方が、演出者も楽であり、見て居る我々も、真の過去の生活を顧みさせられる事になると思ふ。
悲…

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