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草相撲の話
くさずもうのはなし
作品ID47691
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 21」 中央公論社
1996(平成8)年11月10日
初出「郷土科学研究 第一号」1931(昭和6)年9月25日
入力者門田裕志
校正者フクポー
公開 / 更新2018-06-02 / 2018-05-27
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

我々には、相撲と言へば、春場所・夏場所の感じだけしかなくなつたが、誹諧の季題では、これが秋の部に這入つて居る。宮廷の相撲の節会が、初秋の行事だつたからである。しかし、実際に諸国の村々では、今でもこれを秋に行つて居るところが多い。
宮廷では、早くに、すべての行事が整頓せられて、相撲節会なども出来たのであるが、これは、村々の行事がとり入れられたと見るよりも、宮廷も、もとは一箇の邑国であつたので、その当時から行はれて居たと見る方がよいと思ふ。
村々で行ふ相撲の事を、草相撲と言ふのは、今では、民間の相撲の意味だと思はれて居る様だが、実は、相撲の古い形は、体に草をつけて行うたのである。これは、古代の信仰では、遠くからやつて来る異人の姿だつたのである。日本紀・風土記などに記されてある例で言ふと、蘇民将来を訪ねたときのすさのをの命の姿がそれであつて、謂はゞ、草人形である。草相撲と言うたのは、それから出て居ると思ふ。それが、段々、もとの形が忘れられた為に、此語には、民間のものと言つた意味があるといふ様に考へられて来たのであるが、同時に、くさとは、病気といふ事と殆同義語だつたので、その聯想から、病魔退散の相撲といふ様にも考へたらしい。しかし、村々に残つて居るものを見ると、今でも、実際に、体に草をつけて行つて居るところがある。
何故、相撲をするには、体に草をつけて異人の姿をしなければならなかつたか。それは、此神事がもとは、神と精霊との争ひを表象したものであつたからだ。即、遠くから、威力のある神がやつて来て、土地の精霊を征服する形だつたのである。そして、外から来る神は大きく、精霊は小さいと考へて居た。だから、相撲は、もとは大きいものと小さいものとで取り組んだのであるが、後に、力競べの方に興味が傾く様になつて、大人の相撲と子供の相撲とが、別々に行はれる様になつたのである。
村々で行はれる相撲の場所には、大抵、田の用水がある。川・池のほとりが選ばれるが、これは水の神の信仰があつたからだ。しかし、農村では、常に信仰の変化が激しいので、後には、水の精霊が相撲を好むと考へる様になつた。それから、河童が相撲を好むといふ伝説なども出来たので、河童は、実は水の神がこんなにも形を変へてしまうたのである。中古以後、相撲の節会に、左方の力士は葵花、右方の力士は瓠花を頭へ挿して出たが、瓠は水に縁のあるものだつたので、水の神の所属の標らしく、葵は、それに対立する神の一類を示したのだと思はれる。
相撲が、初秋に行はれるのは、もとは、二百十日・二百二十日の厄日を控へた、農村では最大切な時期に、此神事が行はれたのだと思ふ。もとは、もつと演劇的要素の多いものだつたと思ふが、それが、力競べにのみ興味が傾いて来たのは、此、時期の関係からであつた。即、神と精霊との争ひといふ原の意義が忘れられて、部落同士の争ひが主になつ…

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