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芸能民習
げいのうみんしゅう
作品ID47694
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 21」 中央公論社
1996(平成8)年11月10日
初出「新小説 第四巻第八号」春陽堂、1949(昭和24)年8月
入力者門田裕志
校正者hitsuji
公開 / 更新2019-11-24 / 2019-10-28
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

あまり世の中が変り過ぎて、ため息一つついたことのなかつた我々も、時々ほうとすることがある。鳥が粟を拾ふやうにと言ふが、ほんたうに零細な知識を積んで来た私どもの学問も、どうかかうか、若い人たちが継承して行つてくれるに任せるほかはない。そんな妙な方法で、学問と言へるのか、変な学問もあつたものだと言はれ/\して来た私たちの研究も、おのづから中絶する日が、そこに見えて来た。
人の用意してをつた知識を素直に受け入れないことが、学問の発足と言ふのが、本たうだとすれば、私ども位、先人の学説から自由をふるまうて来た者も尠からうと思ふ。
と言つて、其を自慢する訣でもない。たゞ今まで口にしたことのない胸臆を書きつけて見れば、どんな気持ちがするだらうと言ふ気で書きはじめたまでのことである。
かう言ふ書き出しをつくつて見たが、さて何も変つたことが出て来さうにもない。此後、国文学などを研究して行く若い人々のうちに、かう言ふことを考へる人もあらうかと思つて、言はゞ身後の笑ひを予期しながら、其をまた一つの力に感じながら書いて置かうと思ふことの緒口をつけてゐる訣である。あのごつた返した昭和の末に、こんなことを書いて、隠者ぶつて居た男があつたのだ、と言はれようと言ふ志願を持つてゐると、まあ言へば、さう言ふ風にも言へる。
私などは、生れだちから歌舞妓役者や芸能人を極度に軽蔑するやうに為向けられ、教へられて育つて来た。だからそんな小屋の立ち並んでゐる盛り場に入りこんでゐて、知つた人にでも逢はうものなら、忽赤い顔をして、人ごみへ隠れてしまふ。其でゐて、さう言ふ人だかりの中へ、まるで韜晦するものゝ如く這入りこむことが、嬉しいのではないが、もう一生の癖になつてしまつた。だから、私の学問も、一端に、芝居町や稽古屋の生活に繋つてゐるやうなものである。
日本流の劇や音楽を、如何にもはな/″\しい、艶やかなものゝやうに思つてゐる若い人達に、其だけは、明治末期から、東京人士の持ちはじめた錯覚だと言ふことが告げたい。私はやはり紳士の足を入るべからざる小屋の中に踏みこんでゐるのだと言ふ肩身狭い思ひを忘れないで、以下の芝居学問を話し続けようと思つてゐる。

「曾我物語」と芝居との関係は、ともかく長いものである。殊に江戸歌舞妓などになると、まるで全演目が、曾我狂言の分化したものゝやうにすら思はれさうなころもある。併し江戸時代の古い上演目録を作つて見ると、存外其は近代に寄つての姿で、古くは我々が持つ予期ほどには、曾我物語が、歌舞妓を圧倒してゐた訣ではなかつたのである。
春芝居から五月興行まで、据ゑ置きもあり、さし替へもあるが、ともかく皆曾我の世界の狂言を続けてゐると言ふことは、あまり偏つた江戸歌舞妓の習慣であつた。こんなことは京大坂その他の地方の芝居にはない事実であつた。其だけに又、江戸芝居の曾我偏重は目立つたものである…

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