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獅子舞と石橋
ししまいとしゃっきょう |
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作品ID | 47696 |
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著者 | 折口 信夫 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「折口信夫全集 21」 中央公論社 1996(平成8)年11月10日 |
初出 | 「時事新報」1947(昭和22)年1月27日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | フクポー |
公開 / 更新 | 2018-06-02 / 2018-05-27 |
長さの目安 | 約 4 ページ(500字/頁で計算) |
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能楽の獅子舞には、本式に、赤頭に獅子口の面をつけて出る石橋と、望月や内外詣のやうに、仮面の代りに扇をかづき、赤頭をつけるのとがある。現実の獅子として出て来るのが石橋で、獅子芸で世を渡る芸能者の役を勤める場合、扇をつけて出る訣なのである。小沢刑部・伊勢の神主などは、望まれて世間の獅子芸能を舞ふのである。
江戸時代の歌舞妓所作事の獅子舞で、石橋うつしでありながら、扇に牡丹をつけ、赤頭で舞つたものゝ多かつたのは、見当違ひである。本行らしく為立て直した連獅子・鏡獅子の類は、石橋物らしい姿に還つた訣である。だが石橋は法被半切など言ふ姿で、首から下は全くの人である。だが、能楽以前は、石橋系統の獅子舞があつたとすれば、恐らく胴体も四つ脚も、やはり獣類の姿を模したものだつたらう。能の獅子へ来る一つ前の形は、延年舞の中にあつたのではなからうか。趣向の石橋に並行してゐるのは、延年小風流の「声明師詣二清凉山一事」と言ふ曲である。奥州出の僧一人、声明研究の為に都へ上る。又一人の僧、これと道で遇ふ。其志を聞いて、それなら一層本元の唐土の五台山、清凉山へ渡つたがよいと言ふ。奥州の僧、なる程昔寂昭法師――大江定基――も其山へ参詣して、種々不思議を見たと聞いてゐる。案内してくれ、お伴しよう、と言ひ出す。やがて清凉山に達する。こゝは文殊の浄土だ。法号を唱へ、祈念せよと言ふ。
笙歌遥に聞え候 孤雲の上。是は聖衆の来迎か。まのあたりなる奇特かな。
とある。寂昭の作と言はれた詩の一部だが、石橋の中入前にも、これに似た文がある。
能なら、後じてと言ふ風で、そこへ文殊菩薩獅子に乗つて、脇士二人を従へて出る。汝等の志にめでゝ現れ、声明の秘曲を授け給ふ、と言ふ。旅の僧、このついでに、極楽の歌舞の曲を見せ給へ、と願ふ。心安いこと。それでは見せてやらうと言つて、囃しになる。
霊山を訪ふといふ曲ばかり多い延年舞の事だから、此外にも、寂昭法師が清凉山で不思議を見たことを作つたものがあつた事は、想像して不都合でない。天台山の石橋を見て記録を作つたのは、成尋律師だつたのだが、其を延年を作つた何寺かの僧が、色々な点で錯覚をまじへたものだらう。延年舞には風流の被物をした動物類が活躍するので、右の文殊菩薩を乗せて来た獅子が、大いに狂うた段があつたものと思はれる。
石橋の方でも、間狂言の仙人の這入つて後、して・つれで文殊と獅子とが現れてよいはずだが、何時の間にか、獅子だけがはたらくことになつたのである。
しばらく待たせ給へや。影向の時節も今、いく程よも過ぎじ。
と言ふ語は、前じての語が地にふり替つたのである。謡ひ地よりも、寧、間狂言に牽かれて、獅子の出る形になつてゐる。
石橋の順道な解釈からすれば、獅子が文殊の化身と言ふことになりさうだ。文殊菩薩であつてこそ、獅子の座にこそ直りけれが、適切なので、獅子が獅子の座に直つたのでは…