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地唄
じうた
作品ID47698
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 21」 中央公論社
1996(平成8)年11月10日
入力者門田裕志
校正者フクポー
公開 / 更新2019-06-15 / 2019-05-28
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

地唄とは、ろおかるの唄と言ふこと。上方の人々が、江戸の唄に対して、土地の唄と言ふ意味でさう名付けた。江戸から言へば、上方唄と言ふことになる。
上方では、長唄・清元・常磐津など、それにもつと古く這入つた唄や、江戸浄瑠璃の類を括めて、江戸唄と言つてゐた。其等は、法師が弾いてうたふと、差別なく、皆一つものになつて了つた。明治以後、東京から次第に其道の人々が、上方へ来る様になつて、其人々が遊廓を中心に弟子を取る様になり、段々に差別がついて来たが、もとは皆、上方では、法師や、その亜流の町師匠などがうたつて、何もかも、一つに響いたものである。
明治以後、一番先に、江戸唄らしいものゝ、大阪へ這入つて来たのは、新内であつた。京都も多分、そんなことだつたらう。かう言つてしまふと、少しの間違ひが見のがされてゐることゝなる。実は上方で暫らく絶えてゐた祭文節が来てゐた。舞台や高座と関係なく、袖乞ひする旅芸人が持つて来たものであつた。これが、江戸で言へば職人階級と言ふべき人たちに移されて、寄席や、貸し席で、芸披露をするまでに出世してゐた。其後、何度目かに来たのが新内ぶしで、此は色町をとほして場末の町々のどうらく若い衆が習ふやうになつた。床屋の親方などで、新内の師匠を兼ねたものが、我々の記憶に残つてゐる。明治二三十年頃のあり様である。その外のものは、師匠が、東京から居を移して来なかつたから、本筋のものは伝はらなかつた訣である。従つて長唄・常磐津・清元などは、長く京阪には行はれなかつた。
とにかく、それ等は、一括して江戸唄と言ひ、中には、江戸の方で消えたものが残つてゐる。其等、江戸唄の本は、上方では、別にまとめられて、枕本の形で残つてゐるものが、幾つかある。地唄は、法師が、謂はゞ家元である。もと/\、家元制度の行はれたのは、江戸であつて、之に当るべきものは、上方にはない。江戸政府の社会政策の結果に出来た癌であつて、指導権といふやうなものがあり、其が地唄は、法師がするのが本格のものであつて、法師以外がするのは、正式なものではないと考へられてゐた。琴や三味線を楽器として、唄をうたふ。もとは琴であつて、くだけたものが、三味線である。両方共通のものもある。
富崎春昇と言ふ人は、もう東京へ来て、かれこれ二十年にもならうか。面白い様な面白くない様な、変なものだ。
地唄に包含してゐるものは広い。大体の区劃は、長うたと端うたとに分れてゐる。長うたとは、形の長い短いによるのではなく、其流に於ける本格のものがさう言はれる。由緒正しいものを言ふ。勿論、琴にも三味線にもひく。はでと言ふ語は、今は、豪華なことに言ふが、端うたの場合の如く、もとは、本格をはづれた、変格のものを言ふ。まう一つ、小唄と言ふ部類があるが、厳格には言はない。民謡を三味線に取り上げて、改調したもので、以上が、地唄の大体の区分と言つてよい。普通…

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