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鷹狩りと操り芝居と
たかがりとあやつりしばいと |
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作品ID | 47699 |
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著者 | 折口 信夫 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「折口信夫全集 21」 中央公論社 1996(平成8)年11月10日 |
初出 | 「国文学者一夕話」六文館、1932(昭和7)年7月 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | フクポー |
公開 / 更新 | 2019-06-15 / 2019-05-28 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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今度計画せられた此書物は、類変りの随筆集といふだけに、識り合ひの方がたが、どんな計画で、思ひもかけぬ事を書かうとして居られるかといふ事が、かうして居る今でもまざ/\と胸に泛んで来る。多分皆さんが、専門違ひの変つた通の話を、試みられるらしく思はれる。これが、本屋の番頭さんが見えての話である。だからといふ訣ではないが、私も少々変つた話を申し上げたい。鷹に関係した書物、並びに鷹百首といつた類の書き物は、我々が見て居るだけでも随分際限のない未見の部分を予想せしめるものがある。その沢山あるものゝ中から、僅かに読んで、而も術語によつて覆はれないで理会せられた部分だけから、簡単な幾種の結論を、幸ひに引き出すことが出来た。これからの話もその一つである。
古く、平安の貴族社会に行はれた大臣大饗に、庭前で犬と鷹とを使つて、小鳥狩りの真似をした。これは愈、あるじぶるまひに這入つて、雉子を出すことの前提と見られて居る。光孝天皇の御幸運に関聯した物語を伴うて居るだけに、この雉子並びに小鳥狩りは、深い因縁を思はせるものがある。
物識りぶつた思はせぶりを差し挿む事が許されゝば、この日宮廷から遣される賜物の品物と共に、大変な興味と、疑問とを含めて居るものである。
武家時代の早い頃の絵巻を見ても、宴会の催される家の庭には、多く鷹が架の上に据ゑ置かれて居る構図が見られる(拾遺古徳伝など)。さきに出た絵巻の類型と思はれるのもあるが、事実あつたことには違ひなからう。その架には、所謂架衣と称する布が垂れてある。謂はゞ巾の広い几帳のやうなものと見てよさゝうだ。
新村出先生は、日本に於ける鷹狩り源流についての権威である。けれども今におき、其稿本を板行する気におなり下されない。其為に我々の話も、此程度で止めて置かなければならない程、孤立無援の有様にあるのだ。若しどうかした機会に、この漫談が先生の眼にふれて、苦笑を誘ふならば、それは一つは、先生自身の罪でもあるわけだ。
私どもの力では、大陸から半島への鷹法の伝来、或は渡来後の変化について、大きな口をきく資格はない。たゞ、この島のみかどに於いて、考へられて居たでもあらうその姿を考へ出して、一部分でも真実に当ることがあつたら、此上の幸ひはないと考へる。
端的に言へば、私の長い宿題として居る一つのものに、所謂、操り芝居のてすりと称するものがある。それが可なり近代まで、一枚の美しい布で出来て居たことの理由である。人は此をてすり即、欄干と言つた説明を胸に持つて居るであらうが、私にはまだその簡単な解説に同感する気がない。
一体、わが邦で古代の風と考へてもよい記録の叙述によると、とりのあそび(鳥遨遊)なることばが見え、さうした方法が呪術の上にあつた事を残して居る。事代主が天孫の使ひに留守をあけて、美保の崎に出かけて居たのは、此事の為だと謂はれて居る。だが、同様の事ならば、…