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日本芸能史六講
にほんげいのうしろっこう
作品ID47707
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 21」 中央公論社
1996(平成8)年11月10日
初出底本13頁冒頭から34頁3行目まで「舞踊芸術 第八巻第十一号」1942(昭和17)年11月発行、<br> 34頁6行目から45頁3行目まで「舞踊芸術 第八巻第十二号」1942(昭和17)年12月発行、<br> 45頁6行目から54頁12行目まで「舞踊芸術 第九巻第一号」1943(昭和18)年1月発行、<br> 54頁13行目から64頁3行目まで「舞踊芸術 第九巻第二号」1943(昭和18)年2月発行、<br> 64頁4行目から72頁8行目「が出来てゐたでせう。」まで「舞踊芸術 第九巻第三号」1943(昭和18)年3月発行、<br> 72頁8行目「私共は、」から77頁最後まで「舞踊芸術 第九巻第四号」1943(昭和18)年4月発行、<br> 三味線唄の発想を辿る「短歌研究 第七巻第二号」1938(昭和13)年2月発行
入力者門田裕志
校正者ミツボシ
公開 / 更新2025-02-11 / 2025-02-09
長さの目安約 101 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

第一講

日本芸能史といふこの課題の目的に答へることが出来るか、どうか訣りません。或は雑駁なお話になるかも知れません。
最初に芸能とはどういふ意味であるか、といふことに就て、私らの見るところを申上げたいと思ひます。大体「語」といふものは、実感をもつて使つてゐる間は、定義によつて、動いてゐるものではありません。使つてゐる間に語が分化して来て、そこで始めて、定義づけてみようといふ試みが行はれるのであります。
我々は芸能といふ語を使つて来、また或点まで、その意味をこまやかに掴んでゐるつもりでもありますが、最近の芸能といふ語の使ひ方には、少くとも二つの中心があつて、その為に、どちらつかずになつてゐると思ひます。而もその間には、調和の出来ぬやうな二つの点に、芸能といふ語の意義が立てられてゐるやうであります。その一つは御承知の通り、今日普通に教育の上で言はれてゐる「芸能科」といふ、あの芸能といふ語の使ひ方であります。この種のものは、我が国に於て従来使はれなくもなかつたでせうが、あのやうに世間話に使はれた例は、なかつたやうに思ひます。つまり、芸能科の芸能といふ使ひ方は、シナの熟語としての芸能に近いもので、いはゆる「芸と能と」というた、従来の辞典式意義を感じてゐるものゝやうであります。
シナにも勿論、史記其他に、芸能といふ語の使はれてゐる例は、尠くないやうですが、従来我が国に於ける芸能といふ語の使ひ方は、さうしたものとは、違つてゐたやうに思はれます。私共の知つてゐるものでは、「兵範記」の仁安二年十一月の条に使はれてゐるのが、一番古い用例であると思ひますが、恐らく、もつと古くから使はれてゐるのに違ひありません。
つまりこれは高倉天皇の御宇ですから、平安朝の末になる訣で、従つてこの語は、もつと溯れることであらうと考へられます。それから後には、「吾妻鏡」にも、あちらこちらに散見しますので、鎌倉時代に熟して来て、盛んに使はれるやうになつたと見られます。一時代一つづゝ拾ひあげるといふのもをかしいのですが、吉野朝の頃になると、辞書に出て来ます。後花園天皇の御代に出来たものと考へられてゐる「下学集」に出て来ますが、この辞書には芸能に関する部門があります。
その中には、純粋の日本語に当て字をした字も、大分あります。従つてこのやうに辞書に使用されたのだから、芸能といふ語の意義は、「下学集」あたりから始めて考へるのが、具合がいゝやうです。
元和版の「下学集」をみますと、芸能に当るところが、「態芸門」と書かれてゐます。これはつまり、芸能といふ語を逆にしたものだと思はれますが、ところが元和版の信用出来ないのは、その最初の目次の部類分けの名称は、「芸態部」といふ風な書き方をしてゐることであります。昔の人は文字を書くのにも、新しく書き代へる時にも、かなり不注意でも通つてゐたのだといふことが、かういふこ…

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