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無頼の徒の芸術
ぶらいのととげいじゅつ
作品ID47719
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 21」 中央公論社
1996(平成8)年11月10日
初出「水甕 第二十三巻第六号」1936(昭和11)年6月1日
入力者門田裕志
校正者植松健伍
公開 / 更新2019-10-09 / 2019-09-29
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

我々の生活してゐる明治・大正・昭和の前、江戸時代、その前室町時代、その前鎌倉時代――その鎌倉から江戸迄の武家の時代と言ふものが、どの時代でも同じやうに思はれますが、違つてゐます。武家の生活が型をもつて来る時代、それをかためる時代があり、――武家が土地に対して執著の少い時代と、土地をはなさない時代とがあります。民族性格からは、土地を自由に考へてゐますが、これは事実は明らかで、合戦記等の生活を書いたものには、あるものが旗挙げすると、その大将が国々を歩いてゆくうちに、大勢の人がつき、最後に行つたさきで生活します。義仲が信濃を歩くと、それについて都迄這入つて、その人々は信濃には帰らないで都ではてゝしまひます。かう言ふ例が地方の豪族には多く、土民の歴史はそれを考へぬとわかりません。それがいつしか時代と共に、武家が土地に執著するやうになり、大名の国替へで擾乱を起したりしますが、幕府のその国替への政策は無謀のやうですが、それがかつての土地を自由に思つてゐた時以来の考へであり、徳川の初め以来さう考へてゐたものが、治つて来ると土地への執著と共にさうゆかなくなります。
土地をうつしてゆく武家の生活の起りはどうか。系図を見ても歴史を見ても、土著の家と言ふのはなく、皆うつゝてゐます。相州小田原の早川氏が中国に来て、小早川の家を開いてゐるやうな例がいくらでもあります。伯耆の名和氏は、懐良親王につき九州へ下つて、八代辺を根拠地としてゐ、遠く琉球迄渡つてゐます。これは武家時代に初つたのではなく、昔からその生活法が行はれてゐたのが、次第に土地に根を下すことゝなつて、今日最後迄根を下さず残つたものが、所謂山窩と言はれるものです。これはおそらく諸国を転々してゐた流民の最後です。昔、土地を確然ともつてゐる人達の外に、周囲をまはつて来る今日の山窩の如き種族が、いくつあつたかわかりません。さう言ふものに、記紀にも見えてゐる海士の民があります。それらの連衆が多く前には文学を、日本の古代生活の上に供給してゐました。その海士が自分達は文学を失つて、のんきな歌人などの間に、「あまをとめ」等と言ふ語となつて残りました。
それが、土地をもたぬものは奴隷の如く考へられてくると、土著を始める様になり、世の主な流れにならつて生活します。その土著を誇りとする時代にあつて、ある一部のものたちが土著しきらないうちに、時代が変つてしまひます。それが又、平安朝時代から鎌倉時代になると、さう言ふ土著でなくともよいものが力を得、復活し、武家は諸国を、部下を従へて次々と歩きます。行く先々で土地を占めて其処におちつき、又あるものはそこをはなれ、はなれたものが又おちつきます。
疑問は、武士階級がはたして何処から出て来たかであります。武士階級は、平安朝の武官の階級ではなく、当時武官は結局文官と同じであつて、武士はそれとは違つて、地方から出…

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