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文芸の力 時代の力
ぶんげいのちから じだいのちから |
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作品ID | 47720 |
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著者 | 折口 信夫 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「折口信夫全集 21」 中央公論社 1996(平成8)年11月10日 |
初出 | 「国文学叢話」1944(昭和19)年11月刊行 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 植松健伍 |
公開 / 更新 | 2018-09-03 / 2018-08-28 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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あゝ言ふ時代別けは、実はおもしろく思はぬのだが、一往は、世間に従うておいてよい。東山だの、桃山だの、と言ふ称へである。
この所謂東山時代・桃山時代、其に似た心持ちを、十分に持つた江戸の元禄時代、此等の時期が、日本の芸術・文学の、大いに興つた時代、と言ふことになつてゐる。此には、異存はない。歴史の上の、著しい事実だからである。だが、此時代が、健全な時代であつたか。此反省は真に、それ/″\の時代に、同じ難いものゝあることを感じさせる。而も其でゐて、芸術・文学を生育し、飛躍させるのに、まことに恰好な力のあつた時期だつたことは、否む訣にはいかぬ。
時代として、俄分限・成り上り者の時世、といふ感の深い此等の時勢に、健康な芸文の営みが行はれ、美しい花が咲くと思はぬのが、通例、芸術史・文学史の上の、考への型になつて来てゐる。吾々すら、さう思ふのだから、世間大体はまづ、さう言ふ行き方で、時勢と芸文との関聯を、考へてゐるに違ひないと謂はれよう。
芭蕉や、近松や、西鶴において、題材はどうあらうと、表現力や、芸文に対する意欲、第一に人間の掴み出し方の、実に堂々として居る点を見ると、不健全な時勢が育んだ文学であり、文学者である、とは思はれぬのである。かう言ふ点になると、扱つてゐる題材などは、全く問題ではなくなる。
金閣や銀閣の、立面図の案出せられた時代、さう言ふ建て物の内部を整へる壁代・調度の類を作り出す異常な俊才も、輩出してゐたのである。其よりも更に、さう言ふ座敷に出て演ぜられた芸能や、其台本となる文学が、発達してゐたことは、誰しも認める事実であらう。又、さう言ふ芸能の代表者の背後には、幾千万のみじめらしい芸の乞士が、古い歴史を負うて、おなじく古き世より持ち伝へた芸能に、喚き、踊り、狂うて居たのであつた。利休を生み出し、又利休の生み出した「茶」の伝統が、果して後世の吾々の考へ慣れてゐるやうに、わびしい味ひに帰するものだらうか。一輪の「わびすけ」の半開の白瑪瑙の鍾は、憂鬱とは凡、縁のない快さに咲いてゐるではないか。
利休の生涯を考へても、此わびすけを拡大したら、そこに出て来さうな闊達性が、十二分に物を言つてゐる。彼の茶も、そこに、性根があつたやうである。
桂離宮などを拝見して帰つた印象の中心には、やはり此闊達性の、大きくひろがつて来てゐるのに、心づく。
なる程、遠州好みと言ふものは、こんな傾向に対する評価だつたのだ、と会得するであらう。石州の案出したと伝へる茶席・茶庭を見ても、やはり相当に、豪華過差の感を受ける。
茶の精神の中から、此豪華にして過差なるものを認めることの出来ぬ、人ばかりでもあるまいと思ふが、どうだらう。
茶は茶、日常生活は日常生活といふ風に游離してゐたのが、利休の生活ではない。又、さう言ふ游離に、意味を認めて、そこに風雅閑寂があるのだなどゝ考へる人があるとしたら、其…