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舞ひと踊りと
まいとおどりと
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 21」 中央公論社
1996(平成8)年11月10日
初出「芸能復興 創刊号」民俗芸能の会、1952(昭和27)年10月
入力者門田裕志
校正者hitsuji
公開 / 更新2019-11-24 / 2019-10-28
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

日本の芸能には古代からまひとをどりとが厳重に別れてゐた。いろんな用例からみても、旋回運動がまひ、跳躍運動がをどりであつた事が明らかである。芸能と言ふより、むしろ生理的な事実について言つてゐるのである。だから宗教者が、ある時興奮状態におちいつて、その心理作用が生理的条件をつき動して表現せられるとき、ある場合は旋回運動としてはげしく、又はゆるく舞ふ事になる。又時としては跳躍運動として、その興奮の程度によつて、或は高く或は静かに、をどり上る動作がくり返される。歴史以前からの久しいかうした反覆が行はれてゐる間に、いつか神祭りの様式として、是非とも行はなければならないものとなつて来てゐた。それが次第に周囲を取りかこんで凝視し、又は傍観してゐるものにあたへる効果を、出来るだけ有効に強くしようと考へるやうになる。そこにまひ或はをどりの芸能、或は芸術的の価値を考へることがはじまるのである。
おそらく宗教的儀礼を執行する人のうちに一人があつて、神がより来つて、神らしい動作をしてゐるそれ/″\の舞踊の有様を見ながら、之はどういふ状態に神があるか、どういふ神の動作か、さういふ事を判断する者がをつたに違ひない。さうして其等の人によつて、夫々をどり・まひの特殊な意義、場合々々の価値と言ふものが定められて来たのであらう。だから多くの場合、舞ひと言ふのは、大様で静かな性格をもつた神の一面を表す事が多い。踊りは、幾分荒々しい粗野な感情を表現するでもん・すぴりつとの類の動作であることが多い。其で、自らその精霊が勢よく我々の前から退去する姿を表す場合が多くあつて、其為に古来神遊びを初めとして、我が国に行はれてをつた幾多の鎮魂の舞踊である所の遊びが、次第に舞ひの方に傾いて、名もさう呼ばれるやうになつた。踊りは専ら、伊勢踊り・念仏踊り・神送り踊りの類の激しいものになつて行つた。さうして長い芸術と無関係な踊りの時期がすぎて、念仏踊りを中心とする踊りが次第に純化して、其頃流行し出した小唄類と合体して、種々の組みの踊りが出来、又その踊り手にも色々な種類の人々を加へた結果、譬へば、処女は処女、既婚婦人は既婚婦人の踊りといふ風に、踊りは踊りとして特別に芸能としての観照に耐へる様になる時が来た。之がおよそ室町時代以後と見れば間違ひが無からう。盆踊りの頭をもたげて来たのも、およそこの時期である。
ところが、踊りの盛んになるのも大体時期があつたので、戦国の頃に、急に著しくなつて来たのが歌舞妓踊りである。それが総べての踊りを指導するやうな地位に、やがて立つてゆくやうになつた。此時期になつて踊りも亦芸能としての地歩を保ち、次では芸術の域に到達するばかりになつた。此機運を早め、此動きを捉へたものは、歌舞妓役者の劇場において行つた踊りであつた。京阪地方には何しろ歴史久しい宗教舞踊があり、それが早くから芸術化するばかりの境…

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