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山の霜月舞
やまのしもつきまい
作品ID47726
副題――花祭り解説――
――はなまつりかいせつ――
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 21」 中央公論社
1996(平成8)年11月10日
初出「民俗芸術 第三巻第三号」1930(昭和5)年3月
入力者門田裕志
校正者フクポー
公開 / 更新2019-04-08 / 2019-03-29
長さの目安約 50 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

まだあの時のひそかな感動は、消されないでゐます。小正月を控へた残雪の山の急斜面、青い麦の葉生えをそよがしてゐた微風、目ざす夜祭りの村への距離を遠く感じさせる笛の響き、其後幾度とも知れぬほど、私どもの花祭りにあひに出かける心の底には、此記憶がひろがつて居るのです。五年ほど此方、初春にさへなると、三・信・遠、三州の境山へ、ものにおびかれた様になつた訣は、この「花祭り」の作者早川さんが、最よく呑み込んでゐられるはずです。今では、広い東京にも大分、花ぐるひなどゝ砧村の先生に冷笑せられることに、却て満足を感じる人々が殖えて来ました。此は皆、早川さんのきめの濃やかな噂話に魅いられたのです。
昔も、洛中に田楽流行して、狐の業と騒がれた記録があります。花祭りにもさうしたつき物の力が、籠つてゐる様な気がしてなりません。
其最初の聞き出し手であり、今尚、語ること益幽に這入つて来たのは、早川孝太郎さんであります。さうして、其手初めに誘惑せられたのが、実は私でした。花祭りを思ふ毎に、此大和絵かきの懐しい話しぶりを憶ひ浮べずには居られません。私などの花祭りに関する乏しい知識は、隅から隅まで、此人の東道によつて、とりこんだものと言はねばならぬ。其ほどおかげを蒙る事が深い次第を皆様に告げておきたいのです。
花祭りに、「ねぎばな」と「法印ばな」とがあり、其が、設楽の奥山家に、昭和の代にも繰り返されてゐる。さうして、時には、「役花」の願主の招きに応じて、平野近くまでも出て来る。その行儀のうちに、鬼のへんべなるものをふむといふ事があつた。さう言ふ不思議な記憶が、長篠の山口で育つた幼時の印象として残つてゐる、と初中終、早川さんから聞かされてゐたものです。
その頃既に、早川さんは地狂言を研究せられてゐました。さうして私も、芸能史の組織を思うて居た頃でした。其より又四五年前、私もまだ若く、感傷に溺れ易くてゐた頃、信州の南隅、下伊那の旦開村の通りすがりに、新野の伊豆権現の正月、雪祭りの田楽の話を聞いて、又来る時のありさうな気がしてゐました。新野から東三河の東北隅、佐太に越える坂部といふ字では、雪祭りの面一つ、遠州から盗まれて来る途中、弁当をしたゝめた大夫に忘れ残された為、新野祭りの晩には、荒びてならぬといふやうな事も、上の空に聞いて通つた事がありました。
此雪祭り見物の宿願と、その後、早川さんに唆られた花祭り採訪の欲とが、道順によい日どりも続いてゐる事を知つて、もう圧へることが出来なくなつたのでした。大正十二年の正月、前後五日に亘つて、雪祭りの作法と、村人の感情とを凝視しました。本祭りの前日は、一日だけ目だつ行事もなかつた。その日ちようど、三河領豊根村三沢の花が、山坂一つ越えるばかりの牧ノ島といふ字にある、と聞き出して、村の好学者仲藤増蔵さんをたよりに、はじめて、新野峠を越えました。設楽の山村の、寒く…

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