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和歌の発生と諸芸術との関係
わかのはっせいとしょげいじゅつとのかんけい
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 21」 中央公論社
1996(平成8)年11月10日
初出「短歌研究 第六巻第一号」1937(昭和12)年1月
入力者門田裕志
校正者hitsuji
公開 / 更新2020-02-11 / 2020-01-24
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

私はまづ、縁遠さうな舞踊の方面からはじめるつもりである。
遊部  遊部は、終身事ふること勿し。故に遊部と云ふ。(以上、義解の本文)釈に云はく、……遊部は、幽顕の境を隔て、凶癘の魂を鎮むる氏なり。終身事ふること勿し、故に遊部と云ふ。古記に云はく、遊部は、大倭ノ国高市ノ郡に在り。生目天皇の苗裔なり。遊部と負ふ所以は、生目天皇の[#挿絵]円目ノ王、伊賀比自支和気の女と娶ひて、妻と為す。凡、天皇の崩ずる時、比自支和気等殯所に到りて、其事に供奉す。仍りて、其氏二人を取る。名を禰義・余此と称す。禰義は刀を負ひ、並びに戈を持つ。余此は酒食を持ち、並びに刀を負ふ。並びに、内に入りて供奉す。唯、禰義等の申す辞は、輙く人に知らしめず。後、長谷天皇の崩ずる時に及びて、比自支和気の[#挿絵]るに依り、七日七夜御食を奉らず。此に依りて、「阿良備多麻比岐」。爾時に諸国に其氏人を求む。或人曰く、円目ノ王、比自岐和気と娶ひて、妻と為す。是王に問ふ可しと云ふ。仍りて召して問ふ。答へて云はく、然せむ。其妻を召して問ふ。答へて云ふ、我氏死絶し、妾一人在るのみ。即指して其事を負はしむ。女申して云はく、女は、兵を負ひて供奉するに便はずと。仍りて、其事を以て、其夫円目ノ王に移す。即、其夫其妻に代りて、其事に供奉す。此に依りて、和平給ふ。爾時に詔らく、今日より以後、「手足ノ毛成八束毛遊ベ」と詔りき。故に遊部君と名く。是なり。但、此条の遊部は、野中・古市の人の歌垣の類を謂ふこと是なり。
(令集解――喪葬令)
遊部、後代多く、あそぶとばかり謂つてゐるやうだ。あそぶべの音脱である。部の音を略することは、普通の事で、部の語尾を持つたものが、凡部曲の民であつたから、多いのに馴れて語尾に当る部分は省くのでもあつた。服部・土師部・私部の類、非常に例が多い。此氏人が「君」姓を名告つてゐたのは、可なり古い時代から存続し、而も其が信仰的な意味を濃厚に持つて居り、其上、其姓の「きみ」が、女戸主であつたことを示してゐる。戸主はその家の正業を相承するのが古の風である。だから遊部の遊部たる為には、女戸主が預つて居たことが思はれる。其は、円目ノ王の妻の言つた所でも知れる。而も其時から、其家筋の男子が此聖職を継承することになつたことを伝へてゐるのだ。但、其を雄略天皇の殯宮に奉仕したことからはじまるとしてゐるのは、意義のあることである。
史実を伝へるものよりも、もつと根柢の深いものは、習慣であつた。習慣の起原を説明するには、必何か深い拠り所からしてゐる。此が古代人の歴史観である。雄略帝を説いた根拠は、此遊部の職が、「釈」にも鎮凶癘魂とあるとほり、鎮魂を、本業として居たのだからである。なぜなら、日本における鎮魂説話が大体此帝に起原するやうに説かれて居る事から見ても訣る。此事は後に説くであらうが、今は言ふ暇がない。記紀の大歌を見ても、雄略天…

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