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合邦と新三
がっぽうとしんざ
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 22」 中央公論社
1996(平成8)年12月10日
初出「日本演劇 第五巻第五号」1947(昭和22)年8月
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2020-07-10 / 2020-06-28
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

昼の部四時間夜興行四時間半、其に狂言が三つ宛。刈りこんでは居ても、みのある見物は出来る筈である。其に関らず進度の早い感じのしたのは、如何にも貴重な時間だつたと、あの感謝したくなる、歎息のじわを誘はれることがなかつたからである。でも「合邦」に稍其に近いものを、玉手の動きから得た。其に似た感動が起る筈の「団七」「藤弥太」は、さうは行かなかつた。藤弥太は人形ぶりばかりが際立つてよく、かうしてゐる今も目に印象してゐる位だ。だが丸本物の人形ぶりは、どの道一種のけれんであつて、よければよい程反省感を起させる。復善(もどり)の物語から手負ひの殺陣に面白みを置かねばならぬ書き方である。台本もわるし、三津五郎の力点の据ゑ方に誤りがある。
「白子屋」の車力善八が頗よく、「江島」の旅商人を、見だてなく書かれた踊り脇役としての本分を尽して美しい。だが其だけでは、市村座以来の長い三津五郎である。一寸徳兵衛でもつと技倆を発揮するのを予期してかゝつたのだが、颯爽たる味の望まれぬ人だけに、せめて、住吉の殺陣の正確さを採らうか。何にしても、何十年興行師に圧し消されて、発揚せられなかつた本領を、発見させてくれるやうに、此老優に望みをかける。
「団七」(吉右衛門)は、鳥居前がよかつた。床店の二度の出に、きつぱりと来なかつたら、団七を勤める資格はない訣だから、こゝのよいのは、手柄にならない。だが、わるい人もあるのだから、やはり吉右衛門の今度の功と見ようか。但、徹頭徹尾無頼漢の良心に富んだもの、と言ふ理会を失うて居た。此は団七にとつて入門的知識だから、彼が忘れてゐる筈はないが、彼の狭隘な人生観が、まじめになればなる程、大切な主人公を、無頼漢として演出するに堪へさせないのだらう。彼には、頗自然な事だが、其が彼には、征服すべき悲傷癖なのである。肝腎の長町裏は、舅に対する激怒が、この劇の頂上であり、劇的動機であるのに、彼の善良性は、団七の不良性を逸して、九郎兵衛の任侠を力説しようとしてゐる。
吉右衛君は、大阪性の芸質を豊かに持つた人である。団七に解釈違ひなどあるべき筈の人ではない。其があるのは、彼が悲傷癖を征服しきらないからだ。其と彼の名調子に対する自覚を、こゝらで今一往きり替へる事だ。合邦の後段、悲歎に沈めば沈むほど、声の技巧が技巧として、快く奏でられる。空々しいまでに響くことさへある。其が身体表現の誇張の源にさへなつてゐる。合邦は非難はないが、真実味がもつと欲しい。弥太五郎は其点、まことに渾然たる出来であつた。菊五君の新三のうち込むのを、実にがつしりと受けとめて居る。此源七にして初めて成熟しきつた菊五の新三に一刀入れるだけの信頼と喜びを人に抱かせるのである。
菊五郎の権八。「仁」を殺し新しい「仁」を創造する所に、先月の桜丸にも之にも、彼の優秀性が見られる。「仁」にないのを「仁」にするのは、技巧ばかりだ…

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