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義太夫と三味線
ぎだゆうとしゃみせん
作品ID47795
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 22」 中央公論社
1996(平成8)年12月10日
初出「時事新報」1949(昭和24)年10月12日
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2021-08-04 / 2021-07-27
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


かう感情が荒びて来ては、たとひ今の間の折れ合ひはついても、又簡単に喧嘩別れの時が来る。文楽も揉みに揉んで、ちつとやそつとでは御破算にならぬ程、糶りつめてゐる。其に又今度の清六氏の事件である。山城少掾氏の謹厳は、我々始終感心してゐるのだが、芸の苦労にも、世間のつき合ひにも、あれで通して居るのだらうから、調子を揃へて行けない人も出て来るであらう。もつと大様になつてくれたら、第一あの立派な芸が更に自在境にゐるだらうと思うてゐる。今度の事が、曲りなりにでも無事にをさまつたら、山城氏はじめ太夫さんたちに考へてほしいことが一つある。其はどうせ義太夫には弾き語りの時期が来るだらうといふことである。そんなしみたれ(貧弱)た女義太夫見たいなことが出来るものかと馬鹿にする人もあるだらうが、いつそさうなつたら、摩擦の一角でもなくなると言ふものである。長広や呂昇が、一人で高座を勤めてゐた弾き語りの姿を浮べて見る記憶は、極めて清楚なものである。三味線弾きは弾くのが本業か、義太夫を教へるのが本業かと思はれるほど、一人として義太夫の語れぬ人はない筈だ。太夫たちも三味線の弾けぬ太夫なんて言ふのはないのである。山城氏なども、此際弾き語りも時々して見ると言ふ風に腹を締めてかゝつて貰ひたい。三味線の方の方がたも舞台以外に、此まで以上に出来るだけ素人義太夫をしたてゝ貰ひたい。何と言つても、本職の太夫の外に、素人が十重二十重にとり捲いてゐて、其が此浄瑠璃を盛んにしたのだから、素人の芸を高めると言ふことは、意味の深いしごとである。素人の中から偉大なばけもの――素人からくろうとに飛躍した義太夫――の出る希望はまだ、十分あるのである。呂昇はともかく、長広などは弾き語りで、よい加減な太夫の及ばぬ芸を聴かせたのだ。此問題が解決すれば、大きな文楽経済や人物の上の懸案が、一部は消えるのである。何しろ三味線専門家の養成が、一等むつかしい今の有様なのだから、かう言ふ側からでも、文楽をよくして行く方へ向ひたいものです。



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