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芸の有為転変相
げいのゆういてんぺんそう
作品ID47798
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 22」 中央公論社
1996(平成8)年12月10日
初出「東京新聞」1946(昭和21)年10月19日
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2020-11-11 / 2020-10-28
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「……花を惜しめど花よりも惜しむ子を棄て武士を捨て、住みどころさへ定めなき有為転変の世の中や……。」幼年時代から何十遍見聞きした熊谷陣屋幕切れの渡りぜりふである。竟に一度何の感傷も覚えなかつた文句である。其が今度といふ今度、真に思ひがけなく不意討ちのやうに鼻の心を辛くさせられた。
世間も個人も皆痛切に、此段切れの文句に身をつまされる有為転変を、実感してゐるのである。歌舞妓芝居自身すら、転変を深く思ふべき時到つた訣なのだ。

其だけに、振り搾る様に悲痛な吉右衛門の口跡も、今度は其程張上げることなくて効果をあげた。時勢も変化したが吉右衛門も進んだのである。あの魂の清まるやうな悲しみの声楽も、彼にとつては、ちんこ芝居以来五十年の経歴である。我々も馴されて来たが、彼自身ももう悲劇音楽を奏せずとも、てま(主題)は十分、人に徹することが出来るのである。花道附際の「夢であつたなあ」の部分のしぐさも全力的でなかつたのは、よい省略が行はれて来たのである。但、物語のくだり以下、急所々々で格に入ることを避けてゐたのは、彼の考へはわかるが、正しくない。凡熊谷がうかめてよい訣がない。
あれでは「軽み」の剋つた熊谷である。顔までが平凡人になつて見え、赤面生締の首が、何んだか不釣りあひに感ぜられた。かう言ふ時代物に、自然主義式な描写を心ゆくまゝに行はうとするのは、明らかに誤算である。
其ならなぜ、花道際の行動の後、飄々として這入るといふ形は採らなかつたのだらう。笠の縁を引き撓め乍ら這入る煩悶型などは、潔く揚棄してよい段階に達した彼である。

「女護島」の俊寛も、小品的に見ると、よい部分々々が印象した。「配所三とせが其間人の上にも我が上にも恋と言ふ字の聞きはじめ」の老い到つた人の豊かな心持ち、纜を手で追ふ身のあしらひ、「改めて今鬼界ヶ島の流人となれば」のくだりの髯をしごいてのきまり方など、こんなよい物を断片的に独立させて、後はうかめた演出で行くと言ふ法はない。畢竟人生の凡庸化である。
格を外して格に入ると言ふ境地は、吉右衛・菊五両人にとつてはまだ/\理想である。本格的な技巧の大家が、気分的な芸の完成を希ふのは、個人にとつて危険なばかりではない。歌舞妓芝居の伝承の為にも憂はしいことである。

此二役に当る相模・千鳥は時蔵であり、猿之助は弥陀六と今一役瀬尾十郎を分担すべき処を、若い段四郎が之に当つた。此配役は舞台の調和を度外視してゐる。若い世代の為も思ふべきだが、目前時代の理想を犠牲にしてはならない。猿之助は今の処「忠信」の最上水準に備つてよい役者だが、瀬尾などでもつと芸を鍛へるがよい。弥陀六も思つた程放漫でなかつた。此老立役が姦悪に見えなかつたゞけも、彼の自我――其大きな弱点だつた――を殺すことを知つた証拠になる。敢然と俊寛と戦ふ心意気をふり起すことだ。時蔵の努力は敬服してよい。だが相模を見…

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