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自然女人とかぶき女
しぜんにょにんとかぶきおんな
副題――新歌右衛門に寄する希望――
――しんうたえもんによするきぼう――
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 22」 中央公論社
1996(平成8)年12月10日
初出「花道 別冊六世中村歌右衛門襲名記念号」1951(昭和26)年5月
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2019-03-31 / 2019-02-22
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

いよ/\芝翫が歌右衛門を襲ぐさうである。考へれば、大変成長したものであるが、一往此辺で、飛躍の階梯を作るのに、双手をあげて賛成する。それは昭和の歌舞妓芝居から、最意味のある功労賞を贈るとすれば、まづ海老蔵と此人とに贈るのが、当を得た功績をあげてゐると思ふからである。かう言ふ言ひ方が、誇張した言ひ分の様に受けとられるかもしれぬが、私はちつとも大袈裟にものを言つてゐるつもりではないのである。あの戦争の後――まだ「老優人」たちの生き残つてゐたにかゝはらず――若し此二人が歌舞妓の世界に出て居なかつたとしたら、どんな事になつたらうと実に危殆な気持ちがする。若い戦後派の人々が占めてゐた観客層と言ふものは、事実歌舞妓芝居から、取り返しのつかない程遠い所へ退いて行つてしまつてゐたのである。少くともさう見えた。言ふまでもなく、歌舞妓芝居ほど率直な美と、単純無碍に直感に迫る強味を持つてゐる劇は無い。美しい役者が正しい輪廓をして現れて、簡明直截に動いてはきまる。これだけの事が、どれ程用意のない見物に入り易い条件になつたか。歌舞妓の世界に首を入れた事の無い若い人達に、とにもかくにも一往の感嘆すべき美を与へるのは、立役では海老蔵、女形では何と言つてもまづ芝翫をあげるよりほかはなかつた。荒涼たる戦後の舞台にこの二つの星のやうにきらめく両人を発見した時、歌舞妓亡びずの叫びが咽喉元につきあげて来るのがとめられない気がした。其点では小さいながら歌舞妓の救ひ主と言ふ讃め詞を、小声の程度ならば言つてよからうと思ふ。梅幸はじめ、ほめ詞の幾分かに当ることの出来る数人の優人も無視は出来ない。けれども何処か近代的であつたり、そのほか若い人の想像してゐる歌舞妓、それの持つたよさが、却て歌舞妓を亡す因子になりかねない別様の美しさに止つてゐたりして、ちよつとの不安が、実に大きな不安をおしひろげたのである。歌舞妓を救ふ為には、何としても、最「歌舞妓びと」らしい優人の出現が望まれてゐる時であつた。
さうして都合よく大空に暁の星が生れるやうに、女形として芝翫が閃き出した。墨染を踊つて彼の声望が、今日の段階を定めはじめた時、私などはまづ胸をなで下した。何故ならば、歌舞妓の美は舞台上に美を表現する女形が、欠けてはならない。それにやつと補充がついたと言ふ安堵である。これで歌舞妓も、何十年か生き延びたと言ふ気がしたものである。実を言へば、爛漫たる花の様に言はれた墨染を、せつなく寂しいものに感じた。ほんの短時間、関の扉に来て踊つて帰る小町姫に、完璧を見たのであつた。此程の姫が表現出来れば、時代物の半分の領域は此若者が背負つてよいと思つたものであつた。所が、操や相摸を演じるに到つて、誰も彼も、それに本役的な妥当性を感じ、賞讃を惜まなかつた。併し、さう言ふ「女武道」に属する「片外しもの」ばかりが、彼の「時代女」のはまり役ではなか…

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