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芝居に出た名残星月夜
しばいにでたなごりほしづきよ |
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作品ID | 47801 |
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著者 | 折口 信夫 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「折口信夫全集 22」 中央公論社 1996(平成8)年12月10日 |
初出 | 「歌舞伎の研究 第一輯」1950(昭和25)年10月 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 酒井和郎 |
公開 / 更新 | 2020-10-03 / 2020-09-28 |
長さの目安 | 約 56 ページ(500字/頁で計算) |
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あなたは確か、芝居の噂などは、あまりお嗜きでなかつた様に思ひます。併し、此だけは一つ、是非お耳に入れて置きたい、と思ふのです。そちらでも、東京の新聞は御覧になつて居ませう。坪内博士の「名残星月夜」が、五月狂言として、歌舞伎座に出たことは、もう御承知の事、と思ひます。あの脚本が、始めて中央公論に出た時、あなたも、坪内さんに宛てゝ、大分長いものを、お書きになりましたね。あれから、余程たちますので、その細目は、記憶に残つて居ません。が、大体は、事実と構想との関係と言ふ点だけを、中心にして言うて入らつしやつた様に思ひます。今、手もとに、あの頃の時事新報の切り抜きがありません。上野へ行けば、とつてあるだらう、と考へますが、又億劫がつて居る中に、印象を薄れさせて了ひ相ですから、ぶつゝけに書きます。若し、あなたも既に言はれたことを、自分の考へ見た様に、得意になつて書く様なことが出来はすまいか、とも思ひますが、そんなことがあつたら、あなたの考へが、わたしにも、具体せられて出て来た訣で、優越感をお持ち下さつて、さし支へはありません。
わたしにはどうも、吾妻鏡と言ふ書物の、史料としての価値に、疑ひが持たれてなりませぬ。其は、今の中はまだ、気持ちの上の問題で、と卑下せねばならぬ程度のもので、開き直つて其理由を糺されると、少しまごつきます。唯処々、あまり興味のあり過ぎる場処が、つひそんな気を起させるのでもありませうか。が、作り事と言ふ程でなくとも、民譚(伝説)臭い色あひが、さうした場処にはきつとあたまを出して居るのです。御存じの曾我の仇討ち前後殊に、虎御前に関した事などは、大分おもしろくもあり、反証もあがり相に思ふのです。其からも一つは、此鶴个岡拝賀の一条が、一番不審な気を唆る場処です。編者か、作者か、(其は、こんな場合の問題としては、大き過ぎます)ともかくも、吾妻鏡を纏めた人は固より、其頃の人々は、実朝が、あの日のあゝしたなり行きを、予め知つて居たのだ、と言ふ風に解して居たものらしく思はれます。尤、あの辺の書き方は、思はせぶりを、平気のおぶらあとに包んである様です。其にしても、あの本の書きてが予期した通りの印象を、素朴に受けたゞけでは、歴史を見るより、尠くとも、実朝を見ようといふ上には、浅すぎると思ひます。あれだけの事実から出て来る、書きての居た頃の、民譚風の解釈は、其儘にして置いて、別に、も少しほんたうのものが、掴まれさうに思ふのです。
恥しいことですが、あゝいふ種類の脚本・小説を読む場合、わたしには、まじりけのない鑑賞が出来ないで、作者の見解を見よう、と言ふ風の、別な衝動を交へて居ることが多い様です。けれども、(私の場合のよい・わるいは別として)作者の側では、其方面から十分鍛へあげたものを土台にして居ないでは、人物や、事件が、歴史を単純に意訳なり、直訳なりしたに過ぎないこと…