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芝居見の芝居知らず
しばいみのしばいしらず
作品ID47803
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 22」 中央公論社
1996(平成8)年12月10日
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2021-09-03 / 2021-08-28
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

月々、多かれ少かれ芝居は見る。子どもの時からの癖が、まるで脅迫観念になつてゐる様だ。芝居茶屋や、出方に頼んだ頃は、少々いらぬ入費もかゝつたが、扨其が改良せられた今の興行法では、一度の見物にも、手数がかゝつて為方がない。前売り切符だの、ぷれいがいどなどは、便利に見えるのは、金のかゝらぬと言ふ点だけで、却て手数が多くかゝる様になつた。幾十年興行者の為に御奉公してゐても、特別の関係のない私どもには、からだを動かさねば、よい場を占めることが、愈むつかしくなつて来る。そんな苦労をしながら見るほどの芝居ばかりでもないに拘らず、土間の椅子に腰をおろすと、何だか、世間や家の生活と違うた安堵が湧いて来る。性根場になるまでは、舞台から目を外してゐると言つた通人には勿論なれない。幕開きの「しだし」の出入り・せりふを聞き外しても残念に思ふ位だ。だから、年をとる程、芝居の見物が、勉強の重荷になつて来た。其でも、見に行く。金の乏しい自分も、見たさを唆る狂言の出る時や、安心して見られる役者の出し物がある場合などは、とりわけ却て行きたくなる。
役者をひいきすると言ふ事も、いろ/\あるが、ぱとろんとしての誇りを衒かすことも出来ず、又、好色に泥んで縁の下の力持ちをする気にもならぬ。さう言つた役者びいきが随分あると思ふ。ある役者の芸に対する鑑賞法が、自分に出来てゐると感じる場合である。従うて其役者の芸能は、何時も失望なく、わが生活にとりこまれると言ふ予期と信頼とが持てる。かうした役者が、数名も揃うてゐる場合には、どんなに幸福な気持ちを、まづ持つか知れない。さうした役者の一人が出る興行にも、やはりその専任の一場に望みをかけて行く。さうした役者が、もう頽齢になつてゐると、一度でもよく心に印象して置きたいといふ気になる。

その意味で、私は源之助・仁左衛門・鴈治郎を見に行く。先年郷里へ省つた時、本蔵下屋敷を中車(本蔵)が出してゐた時、中車よりも、若狭助の鴈治郎よりも、私の見物心を唆つたのは、雀右衛門の三千歳姫であつた。既に健康の危まれてゐた時だつたからである。だが、残念なことに、見はぐれて帰つた。其から二三日して、聞いた。本蔵と伴左衛門とを左右にして、さはりにのつてゐる中途で仆れたといふ報知である。此時は、後悔といふよりも、深いものを感じた。
私は思ふ。七十に出入した役者には、一年に一度は、必一世一代の「出し物」をさせることだ。其は役者の為にも、見物の為にも、又歌舞妓芝居の記録を作る為にも、喜ぶべきことである。
仮りに源之助を例にとると、此人の没後失はれるものゝ多いことが思はれる。第一に、其せりふまはしである。第二に、其気分的表現である。此は、記録にも、伝授にもいかぬことだ。第三に、其風姿である。ある役処に最妥当な、うごき・服装である。第四に、最案じられる或種の役柄と、その性根とである。

たとへば、…

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