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辻の立ち咄
つじのたちばなし
作品ID47809
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 22」 中央公論社
1996(平成8)年12月10日
初出「橄欖 第四巻第八号」1925(大正14)年8月
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2021-06-12 / 2021-05-27
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

夏めいて来ると、祭りに狂奔した故郷の昔が、思ひ出される。其と一続きに、きつと浮んで来るのは、浄瑠璃から出た「夏祭浪花鑑」といふ芝居である。あんな戯曲の上にも、大阪と東京との違うた、昔の姿が見えて居る。人物の性根が、語り物と舞台とでは、よつぽど違ふ。役者の上方出と、関東生れとで、理会が変つて居る。一寸徳兵衛は、乞食をした男である。其が一般に、すつきりしたたて衆らしい演出をするのは、江戸役者の侠客観が、多分に含まれて来たのである。
如何にも、市井の無頼らしい感激と、虚栄とに、鋭い刹那をひらめかす九郎兵衛は、ぼてふりの肴屋である。小博打うちの喧嘩ずきで、五六年前までは、紀州海道の往還で、袖乞ひをした宿なしであつた。其が、いんちき・いかさまの厭な年よりに拾ひ上げられて、その家の娘に狎れて夫婦になつた、と言ふはしにも杭にもかゝらぬ「町裏の人」である。にも拘らず、今もする関東の九郎兵衛は、貸し元とでも言ひ相な長脇ざしの感じを持つてゐる。此は明らかに、解釈が違うてゐる。もつとやぼで、ねつとりして、而も手ざはりの荒い処がなくてはならぬ。其点では、河内屋といふ役者などは、すゐでも、いきでも、いなせでもない多くの大阪びとの、よそ人には考へられて居ない素質を、最豊かに舞台の上に表現の出来る人である。

も一つ芝居の事を書いて見る。「伊勢音頭恋寝刃」の中で、一番悲劇らしい、切に胸に来る性格はお鹿と言ふ女郎である。歌舞妓芝居の癖として、二枚目の演出には、必、信頼してゐられぬ様な表裏の両面を感じさせられる。だから、わりに生まじめな貢にすら、さうした邪推に似た気持ちの起らない訣にはいかぬ。万野となれあうて、お鹿をだました方が、ほんたうだらうと言ふ様な気さへする。お鹿役者が懸命になればなるほど、貢の印象はわるく、おしへされてゆく。貢を色立役(?)といふ先入主を持つて見ればこそ、万野の奸悪に兆したのだ、と言ふ考へがやつと持ちこたへられるのである。ぼくねんじんらしい持ち味の今の高島屋なる人の如きでなくば、非常な名人の外は、貢の憤懣は単なるお紺に対する見てくれに過ぎないと言ふ風に見えるであらう。先代音羽屋なども、恐らく、お鹿の追窮に堪へられない様であつたゞらう。貢・お紺・万野など、油屋に出て来る性格は皆作者の計画と齟齬もし、浅薄な理会から出た偶像に過ぎない。ところが、お鹿だけは、どうしてあんなよい性格を掴み出したのか、と疑はれるばかりである。兄の家にゐた日疋重亮といふ人と話した事だが、私には、「人形の家」の人物の中で、くろぐすたつとが、立体的にかゝれてゐると思ふ。日疋君の演出が、偶然にも私の解釈と合つてゐた事を喜んだのであつた。東儀鉄笛等のは、単純な敵役に過ぎなかつた。其と、お鹿とでは、性根の中心が違ふ様であるが、どうしても、泣き笑ひを強ひられない訣にはいかない。
一つは笑はれ、一つは憎まれる。…

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