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鶴屋団十郎
つるやだんじゅうろう
作品ID47810
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 22」 中央公論社
1996(平成8)年12月10日
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2021-03-06 / 2021-02-26
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

文楽の人形が来て、今年はとりわけ、大評判をとつた事は、私どもの肩身をひろげてくれた様な気がする。私どもより、もつと小さな時分から、もつと度々見た人で、今東京に住んでゐる方々も多い事であらう。さう言ふ向きに対しては、気のひけることだが、何だか書いて見たい気がおさへられない。さうしただんまりの満足者の代表人として、ほんの私らが言ふ事も、喜んで貰へさうに思ふ。私さへさうである。二十五年来、鴈治郎が来、曾我廼家が来、曾呂利や、枝雀が来して、次第々々に大阪風の芸事が、東京の人々に認められて来た都度、受け/\して来た印象を、新しく蘇らせる事が出来る。其ほど正直な喜びを重ねて来て、やつと上方のいき方すべてに対する自信を得たのであつた。
四の替りには、太功記もかゝつた。妙心寺などでも、「口」から出つかひしてゐるのには驚いた。人形つかひを認めさせる為には、よい事に違ひない。が、何だか独り寂しい気がした。人は、よくまああゝした人たちの動きが、人形の邪魔にならぬ事だとほめた。私には、うるさく/\為様がなかつたのに。旅興行だからよいとして、此が大阪でも本式になつたら困ると思うた。
稲荷の「彦六」座の記憶は、話せば嘘になりさうな程薄れてゐる。越路(摂津大掾)太夫さへ、まだ、津太夫や孫太夫を凌駕しきつて居なかつた時分の事が思はれる。眉の美しく伸びた翁になつてから、摂津大掾を名のつた時の、楠昔噺をひろめに語つた事なども思ひ出す。「どんぶりこ」とか言ふそんな時分まで、文楽のきり見立ち見は、一銭であつた。越路の語り場になると、二銭とられるきまりであつた。畳なら二畳もしけない土間が、其きり見場であつた。誰に教へられたとも覚えない。いつの間にか、ぎつしり詰つた人ごみの前に出て、ませの棒に腸のちぎれる程おしつけられながら、一銭々々ときり見の金を払ひ乍ら、見てゐた事を思ひ出す。大掾がすんで、後狂言などに移る時分は、大抵まだ日は高かつた。其が済むなり、真一文字に、御霊の社の東露路をぬけて走り出した少年の私を、見た人もあるだらう。
私の家は、一里の余もあつた。坐摩の前を走り、順慶町へ折れて、新町橋の詰を真南へ西横堀の続くだけ馳けた。某の邸を対岸に見て、深里のすていしよん前から難波に這入つて、其からまだ東へ十町あまりも行かねばならなかつた。私の父は末に生れた私のゆく末を思うて、馳り使ひに馴れさせる様に、下女や雇ひ人の代りに逐ひ使うた。十に足らぬ頃から、一里に近い路を新町橋まで、茶を買ひにやられた。卅年前の金だから、使ひ賃は二銭位であつた。其後、五銭まで貰うた事を覚えてゐる。数へ年十三の春、中学へ入学する前には、もう茶屋から北へ十町行つて、御霊の文楽の人形を見ることを知つてゐた。
遊芸事の嫌ひであつた父は、茶買ひにやるほまちが、まさかさうした役に立つてゐたとは思はなかつた。併し其がある時、近所の人に見つけら…

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