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手習鑑見物記
てならいかがみけんぶつき
作品ID47811
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 22」 中央公論社
1996(平成8)年12月10日
初出「時事新報」1947(昭和22)年5月15日
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2021-10-14 / 2021-09-27
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


歌舞妓の春を謳歌するには、稍物寂しいが、其でも尚最後の花盛りに見呆けて愉しむことの出来る「手習鑑」昼夜通しの興行である。無理算段して百花繚乱たる様を見せようとするのは、見物の心を知らぬ興行者の老婆心である。
尚二三度、菊五郎自身が洗ひあげる必要のある「平家の曲」はまだしも、夜の「蛇柳」は全く驚される。歌舞妓の癲癇患者も、之を見たら恐らく其心酔から解脱して、忽に撲滅論者に豹変しさうな実に何とも言へぬものである。三升氏のやうな志篤い紳士が芝居滅亡論の裏書きをしてゐるのは、どう言ふ訳であらう。
手習鑑三場の中、最正しい演出の行はれたのは寺子屋である。だがあまり単純化が行き届き過ぎて、寂寥の感がある。松王・源蔵に扮する菊五・吉右衛両君は、こゝで一つ飛躍の記録を作る野心を持つがよい。小修正だけではいけない時期に到達してゐるのだ。君たちは、其々の型を残した歌舞妓の先人たちと、同じ水準に既に達してゐるのである。宗十郎の千代、委曲を尽して、内面的な演出に煩されて憂鬱にならうとする寺子屋を、明るくしてゐる。理論を知らぬよさである。重要な三場の中、最よいのは、道明寺であり、役として一等傑出してゐるのは、菊五君の桜丸である。奇麗過ぎない中庸を得た顔面もよかつた。救はれぬ責任を自覚して、死んで行く者の静けさを、女子供にも理会させる。
幸四郎君は白太夫より道真がよく、伝授場より道明寺よく、動く道真よりは、魂の入つた天神像の間がよかつた。喜寿の幸四君の晩年における進歩とも言へるし、又動かざる時に、最上のよい天稟を発揮する人だとも言へる。吉右衛君の宿禰太郎は、立役腹を加へる必要がある。こんな事は百も承知の人である。固より元右衛門で行くべきものでなく、団九郎になつても、系譜的な宿禰太郎を外れるのである。
若手連衆の間から、先代羽左衛門・先代梅幸の域に到る力量が発掘せられねばならぬ。又高麗屋本系の三人兄弟も、父翁を凌ぐ優人と早くなつて貰はなければ、君達が上達しても、歌舞妓の日が暮れた後では為方がない。君たちがのほゝんに、江戸持ち越しの芝居街の裏町趣味に溺れてゐる時ではない。



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