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夏芝居
なつしばい
作品ID47814
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 22」 中央公論社
1996(平成8)年12月10日
初出「苦楽 別冊」1948(昭和23)年7月
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2020-08-24 / 2020-07-27
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

真夏の天地は、昼も夜も、まことに澄みきつた寂しさである。日の光りの照り極まつた真昼の街衢に、電信柱のおとす影。どうかすると、月の夜を思はせる静けさの極みである。夜は又夜で、白昼の如く澄みきつた道の上のわづかな陰が、道をしへでも飛び立ちさうな錯覚を誘ふ気を起させる。世の中が昔のまゝだつたら、都会も田舎も今はかう言ふしみ/″\した寂しさの感じられる夏の最中である。かう言ふ季節の、身に沁みた印象が、はなやかな舞台を廻り道具にして夏の芝居にひそかな、どうかすれば幽暗な世界を出現させようとするものなんだらうか――。夏の歌舞妓の舞台出入りの単純にして、ものゝさびしさ。かうした心の奥に待ち迎へるものがあつて、単純にして爽快に、幽暗であつて寂寥な夏狂言を呼び起したのだ、と言ふのだつたら、必しもその心理的根拠は、否むわけにはいかない。だが、これに限らず、さうした心の底の印象だけでは、人事は動いては居なかつた。
其に今一つ、もつと素朴にものを訣つてゐる人たちがある。「鯉つかみ」のやうな水芸に近い狂言、「山帰り」のやうな身軽な季節の所作事の一団があるのだから、「四谷怪談」だの「累物語」だの「小幡小平次」「皿屋敷」だの、「笠森おせん」なり、新しい所では「敷島譚」なり「乳房榎」なり「牡丹燈籠」なり、皆身軽で、経費が尠くて、水のふんだんに使はれる場面もあるのだもの。何もかも脱ぎ棄てたいと言ふ苦しい気持ちを救ふ為に、怪談物が行はれるのも不思議はない。五月興行から盆狂言へと飛ぶ、小屋のあそんでゐる間に、廉価の芝居を打つたのが起りだと言ふのである。聞いて見れば別に、其をかれこれ言ふ程の問題でもない。だが其は結果であつて、夏芝居に怪談物の出る理由にはならないやうだ。
怪談物の題材としては、小幡小平次や累などは、江戸狂言に古くからとり上げられて来たものだが、今あるその流れの作物に皆順送りに書き直した同類の物の遥か末の作品である。一々年表にとつても見ないから、あなた方の無条件賛成を得るほど、明快なことは言へないが――、夏芝居が怪談物をとりあげる様になつたのは、そんなに近代に初りがある訣ではなさゝうだ。まして松緑松助や梅寿菊五郎あたりの近代の役者に、その初めを求めるのは、間違ひというてもよいやうである。
歌舞妓の標準語――芝居通言に、地狂言と言はれる種類のものがあり、また農山海、それ/″\の地方でも、其土地根生ひの演劇と言ふ誇りを籠めて言ふ語として使はれてゐた。其ほど何処へ行つても、あちこちの僻地の村々に演劇団を抱擁してゐるのが尠くはなかつた。その中には相応、腕利きの素人或は半くろうとの役者もゐたものだつた。時としては――今はそんな心ひくやうな噂もきかなくなつたが、――東京・京阪の芝居では、全然見られない狂言の珍しい演出法を伝へて居た。ゆくりない旅の一日、さう言ふ芝居を見て、何といふことなく、胸のふ…

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