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花の前花のあと
はなのまえはなのあと
作品ID47820
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 22」 中央公論社
1996(平成8)年12月10日
初出「文学界 第三巻第一号」1951(昭和26)年1月
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2019-04-27 / 2019-03-29
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

歌舞妓にからんだ問題は、これをまじめにあつかふと、人が笑ふくらゐになつてゐる。と言ふと誰でも、それは誇張だと思ふだらう。けれども、さう言ふ下から、誰でもまじめには考へてゐない。うつちやつておいたつて、どうなとなるだらうし、惜しいやうでもあるが、法隆寺だつて焼亡する世の中だから、それに比べては、大した悲しみでもない、と言はず語らぬ、さう言ふ簡単な見通しめいた気持ちが、誰の頭にもあるのではないか。事実我々のやうに、さう深く訣らないが、替り目には、なるべく都合して観に行く習慣のついてゐる者には、さう言ふことを考へると、何だか、門松のない正月や雛を飾らぬ節供をする様な、そんな寂しさうな、取り越し苦労が感じられる。法隆寺より、問題は小さかつたが、今年金閣が炎上した時には、其自身の問題のほかに、歌舞妓の亡びるのが、象徴せられてゐるやうな気がして、妙にめいりこむやうな気のしたものである。これには一種芳しくない知識がまじつてゐるので、水を注されたやうな反省が起つたのであつた。それは、故人松本幸四郎が近年演じた金閣寺の松永大膳の、背継ぎ台に昇つて、薙刀を頭上に横へて、所謂大入の見得をした姿である。その時思つた事は、もうこの「祇園祭礼信仰記」は、この優人と共に消えてゆくのだらう。論より証拠、それに対立してゐる吉右衛門の寂しく見えること――たとひ吉右衛門が残つても、これでは事実、もう金閣寺の舞台は見られなくなる。さう言ふ諦めと言ふでもない、変にさば/\した気持ちを感じたものである。さうした後で私が、芸能に対して起し易い一種の利己主義に、いさゝか愛想のつきる思ひがした。そんな事のあつた暫らく後、実際の金閣が亡びたのだから、あの真白く塗つた顔に、親王鬘をかぶつた国くづしの立敵の姿を、灰燼になつた金閣の幻想の上に見たのも、私だけには理由がある。だが、かう言ふ錯覚は、歴史も時代もとび越えた空想で、一挙に江戸末期の無教養の民と選ぶところのなくなる、私の知識の浅さを、自分で嘲笑ふ気がした。
金閣寺の舞台は、大膳ばかりで出来るものではない。無論、東吉真柴久吉は居なくてはならぬし、東吉の碁の相手になる、何とか言ふ鬼若衆もなくてはならない。舞台を上手から出て、花道へ通過するだけの狩野直信など言ふ不得要領な役も、之を除けば、この芝居の重要な楔が抜けるやうな気がするだらう。第一、雪姫と言ふ中心になる女形の役があつて、舞台の意趣は深くなる。併し何よりも重要な大膳が出なくなつては、この狂言は成り立たない。敵役・立役・女形・若衆形・道化役その他これ等の系統がいろ/\分化した役形のうちで一二に位する重要な立敵役が、先代幸四郎の死亡と共に、歌舞妓芝居から消え去つたのである。尤、その後瞬くうちに、新しい幸四郎を名乗つて、以前の染五郎と言つて、芝居道に珍しい堅気の仁を思はせる人が、後を継いで、かの立敵系統の芸にも努…

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