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見ものは合邦辻
みものはがっぽうがつじ
作品ID47825
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 22」 中央公論社
1996(平成8)年12月10日
初出「スクリーン・ステージ 第六十五号」1947(昭和22)年7月22日
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2021-04-01 / 2021-03-27
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


東京劇場の七月興行のよさは「合邦辻」のよさである。これに俊徳丸を菊五郎がつきあつたら、どんなに歌舞妓復興の気運を高めることだらう。「髪結新三」は、菊五郎式の解釈は、富永町の場で急に善良な人間になつてしまふ。これではお熊が、この無頼漢に恋を感じたといふ脚本が、も一つ書かれさうである。
「かつをは半分もらつてゆく」の軽くさらふ様な味が役者にすら感じられなくなつてゐる。私など場違ひの者には、年々勘にはづれてゆく様な気がする。当然さうした書き替へをしてもよい時になつたのである。もうあの道徳は――もしくは悖徳は、われ/\の胸にぴんと来なくなつてゐる。「鈴ヶ森」では、例のとほり上級と下級の両雲助群が出て、物もなげに漫歩する。それと、年と共に醜悪な扮装を物々しく凝らすやうになつた。綺麗事でもない芥を洗ひ棄てなくては、本流の煩ひになる。
「夏祭」では、型破りによく役を皆がとつてゐる。これでは多賀之丞の三婦女房のおつぎなどが、堂々として見えても致し方ない。吉之丞の義平次、することはよいが、身上の道化敵になるまいとの努力が、ちつとも愛嬌のない悪年寄にしてしまつた。「兄よ暑いなあ」の棄てぜりふめいた文句も、やつぱり仁にはまらなくては意味のないものだとわかつた。蛙見得が、蟹見得と改称しさうなのも、気の毒だつた。
三津五郎の古い持ち役一寸徳兵衛からして、代役のやうに見えるのは、こちらの目がわるいのだとつく/″\反省した。今度は藤弥太を初めに、色々重要な役に回つてゐる。こゝで遅まきながら立て直して、新しく立役の店を出す気になつてほしい。
「江島生島」は、為出しのやうに見えて大切な海女たちなのだが、為出しのやうにしか見えないのは、何か構成の上に、誤算があるらしい。殊に可愛い子どもが二人、狐につまゝれたやうに出て来るのは、舞踊劇の夢幻味に対する放しでほかない。
拾ひ物をするかと思つた松緑の勝奴が、何ものも客に拾ひ得を感じさせなかつた。ひきかき廻して行くかと思つた鯉三郎の初かつを売りが、如何にも魚屋らしく、限度を弁へたよさを示してゐた。これは抜擢といふのと、逆効果を持つほめ詞になるかも知れない。だが、こんな役ばかりをさせて、教養々々と菊五郎などが、渋つたい顔で指導して行く間に、彼等も一年々々古くなつて行く。
「藤弥太物語」では、大きな拾ひ物をした。新羽左衛門の静御前である。まづ「こうせき」が吹き切れて来た。先々代家橘に似たかと思はれた含み声が、さらりと朗らかになつた。先羽左衛門なども、調子が直つてから役者がぐん/″\上つて来たのだから、新羽左もさういふ時が来たのかも知れぬ。三味線の「たて」などは、さすがに持ちきれなかつたが、薙刀をかいこんだ花道の見得は、一夜の雨に伸び上つた芸立ちを思はして爽快だつた。



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