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寄席の夕立
よせのゆうだち
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 22」 中央公論社
1996(平成8)年12月10日
初出「苦楽 第四巻第十号臨時増刊」1949(昭和24)年8月
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2020-09-03 / 2020-08-28
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

寄席なんかに出入りするのは、あまりよい趣味ではない。這入るにも、後先を見すまして、つつと入りこんでしまふ。さう言ふ卑屈な心持ちを恥ぢながら、つい吸はれるやうに、席亭の客になつて行く。こんな風だから、いつだつて大手ふつて、這入つた覚えがない。親たちがこんな風のしつけをしたからなのである。
生薬屋であつた私の家の店先へ、いつからか来て、来れば一時間では腰をあげる気づかひのない若い山陽道辺の女、亭主と言ふのは、東京から来た巡査で、此二人が世話になつて居たのが、一山と言つたか、一山の弟子であつたか、うろ覚えになつてしまつたが、此も東上りの講釈師であつた。さう言へば、家の近くの市場の中に、氏子の広い難波の八坂神社があつて、其鳥居を這入ると、小半町ほどの境内に、家が立てづんで居た。東京なれば、地内と言つた処、其中ほどに講釈場があつて、夜になると、宵の内からちよん/\ばた/\と、講釈台を叩く音がしてゐたものだ。此よりもつと大きなのは、千日前の法善寺の中にもあつたが、すべて席名は忘れるほど古い昔になつた。這入ると、土間の正面が高座で、其処までの間、両側のしたみ板に沿うて、停車場の待合所のやうに、長い腰掛けがつくりつけてあつた。之に腰を掛けたり、片脚も両脚もあげて、立膝・あぐらと言つた恰好で居られるやうになつてゐる。
土間の真中は両側の腰掛けの前に通つてゐる通路を残して、全体が床になつてゐた。何のことはない、大きな床店か、低い舞台が据ゑてあるやうな形だつた。其に敷いた柔道場のやうに堅い畳の上で、行儀よく坐る人は、座蒲団を借りて、こゝに足の裏を揃へて、きちんと坐つてゐた。尤、こゝで東京見たいに寝る人はなかつたやうだが、親たちがよこしたがらない理由は、子ども心にも訣る気がした。ある時ふつと此へ這入ると、正面高座に、おまはりさんの兄と言つた一山だか、一口だかゞ控へて居て張り扇を叩いて居た。何でも其時は、妲妃のお百だつたのだらうと思ふが、何でも、早乗り三次見たいな男が出て、頻りにおなじ所ばかりを駈け廻つて、「怨みやうらや(?)の姉はんとこ行きや」と連呼しながら逃げ廻る。走れば走るほど、おなじ処へ戻つて来る。こんな所から考へると村井長庵だつたやうな気もするのである。
落し話の席は、家に近い所では、千日前に二軒あり、法善寺の裏路地とでも言ふべき処に、五六軒隔てゝ、並んでゐた。大阪中にはもつと多かつたのだが、何しろ世間知らぬ子どものことだし、さう出歩くことの許されない時代のきびしさで、其以外に散らかつてゐた寄席の様子などは、遥か後になつて知つたのである。東の金沢席が桂派の定席、西が三友派――三遊ではない――の人々の出る小屋であつた。桂派では私の知り初めた頃、後年東京にも上つた三木助が、ほんたうに豆の様な可愛い姿で師匠の南光について出て居た。桂文枝がいつもとりに出たかと思ふ。此方は幾分東京流…

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