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思ひ出
おもいで
作品ID47980
著者上村 松園
文字遣い新字旧仮名
底本 「青眉抄その後」 求龍堂
1986(昭和61)年1月15日
初出「都市と藝術 198号」1930(昭和5)年
入力者鈴木厚司
校正者川山隆
公開 / 更新2008-07-09 / 2014-09-21
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

   一

 まだ四条通りが、今のやうに電車が通つたり、道巾が取りひろげられなかつた頃、母と姉と私と三人で、今井八方堂と云ふ道具店の前にあたる、今の万養軒の処で葉茶屋をして居りました。
 父は私の生れる前になくなつて、それ以来私は男のやうな気性の母親の手ひとつで育てられました。さう云ふ私には父親の愛と云ふものを知らない、母親がつまり、女らしくあるよりも、父親の役をして女らしくあるべき、母親の役と兼ね備へて私を育ててくれたのでした。
 私が絵を習ひ始めたのは、さうです、丁度十三の歳でした、非常に絵がすきだつたものですから。
 葉茶屋の店は私が二十歳のとき、火事にあつて、何一つ取り出すいとまもなく焼出されました。
 その頃は今日のやうに、電気も瓦斯もなく、どこの家でも石油のランプをともしてゐたものです。
 私の家から一、二軒へだたつた他家で、或る晩そこのランプから火を出して、こつそりとあわてて手細工でそれを消し止めやうとしてゐたのでした。それが悪かつた……。
 忽ち火はひろがり、寒い夜のことでしたが私達が目をさまして、その騒ぎに、思はず表へ飛び出した時は、もういちめんに火の手が廻り、夜の闇を、炎がつんざいて、只ならぬ群衆のあわてふためいた騒ぎに、町はうめられてゐました。
 もえしきる家の戸口からは、まるで、コンロから火を吐くやうに、炎をはき、そのすさまじい火勢に思はず、すくみあがる思ひがしました。
 何ひとつ取り出すいとまもない、町の人々や、ひけしや、寺町の辻にゐた大勢の俥屋らが、もえしきる家々に飛び込んで行つて、荷物を運び出す、水をかける、その混乱した火炎と群衆のなかに、やうやく運び出された長持はと見ればなかに這入つた衣類の上に火の玉が飛び込んでゐて、くろけむりを立てながら焼けて、くすぶつて、その上に思慮もなくかけられた水に、ぬれそぼけてゐる。
 水火によごれた往来には、衣類や、せとものや、様々な家財道具が、乱雑になげだされ、われてやぶれて、ふみにじられ泥にまぶれて、手がつけられないと云ふ有様でした。

   二

 その頃向ひの家紅平といふ、小町紅を売る、京都でもやかましい紅屋でありましたが、その家に昔から伝はつた、小野の小町を描いた古画がありました。私はそれを借り受けて、たんねんに写し取つて置いた事があつた。
 火事の時に家財や、衣類などよりも、まつさきに取り出さなければならぬと、即座に頭にひらめいたものは、その小野小町の写しでした。
 これは私の十九歳のときでした。それからまた火事に逢ひました。それは恰度いまから六、七年前のことでした。今の住ひの竹屋町間之町のあたりに火を発して、その界隈が三、四軒やけた。
 風のある夜で警鐘の音、人のざわめきに、フト胸をつかるる思ひで二階へかけあがつて見ると、火の粉は暗い夜空に一面にとびちり、私のうちの屋根や庭に、ばらば…

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