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旧い記憶を辿つて
ふるいきおくをたどって
作品ID47982
著者上村 松園
文字遣い新字旧仮名
底本 「青眉抄その後」 求龍堂
1986(昭和61)年1月15日
初出「都市と藝術 240号」1934(昭和9)年
入力者鈴木厚司
校正者川山隆
公開 / 更新2008-07-09 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 その頃の絵は、今日のやうに濃彩のものがなくて、何れもうすいものでした。恰度春挙さんの海浜に童子の居る絵の出たころです。そのころは、それで普通のやうにおもつてゐたのでした。今日のは、何だか、そのころからみるとずつと絵がごつくなつてゐるとおもひます。
 法塵一掃は墨絵で、坊さんの顔などは、うすいタイシヤで描かれてゐました。尤も顔の仕上げばかりではなしに、一体にうすい絵でした。この作品が出品された年は、恰度栖鳳先生が、西洋から帰られた年でして、獅子の図が出品されました。その時分に屏風などが出てゐましたが、併しまたとても今日の展覧会などに出品されさうもないやうな小さな作品も出てゐました。寸法に標準と云ふものがまるでなかつたのでした。
 私が二十五、六か七、八歳頃、森寛斎翁はなくなられましたが、そのころの春挙さんは、私もよくおめにかかつてゐました。塾がちがつたものですから、これと云つて、まとまつたお話もうかがつた事もありませんでしたし、ゆつくりおめにかかると云ふやうな機会もありませんでしたが、そのころ、お若い内から春挙さんは、すつくりした、いかにも書生肌の、大変話ずきの人でした。毒のない、安心して物の云へるいい人であつたと云ふ事は、私にも云へます。
 私の若い時分は、今のやうに、文展とか、帝展とかと云つた、ああ云ふ公開の展覧会と云ふものが、そんなに沢山ありませんでしたので、文展時代の作品については、はつきりとした記憶がまだ残つてゐます。春挙さんの塩原の奥とか、雪中の松とかは、いまだにはつきりとした印象を残してゐます。
 青年絵画協進会のは、海辺に童子がはだかでゐる絵で、その筆力なり、裸体の表現などが、当時の私共には、大変物珍らしく、そして新しいもののやうに感ぜられたのでした。取材表現のみならず、色彩に於ても、新しい感覚に依つてゐたものでありました。
 おなくなりになる少し前の事でした。電車で、所用があつて外出しましたとき、ふとみると、私の座席の向ふ側に春挙さんが偶然にも乗り合はせてゐられました。その時恰度私の方の側が陽が照つて来ましたので、「こちらへおかけやす」と、その時、春挙さんの隣りに空席が出来たので、おとなりにかけましたところが、恰度ラヂオで放送された直後の事でしたので、その話をしてゐられました。伝統的な手法を忘れて、一体に画壇が軽佻浮薄に流れて、いけないと云ふやうなお話をしきりにせられてゐました。
 その時、膳所の別荘は大変御立派ださうですねと云ひますと、あなたはまだでしたか、御所の御大典の材料を拝領したので茶室をつくりました、おひまの時は是非一度来てほしいと云はれて、それがもう去年の事になりました。そんなに早くなくなられるとは、とてもおもはれませんでした。
 私が十六、七の頃ですが、全国青年絵画協進会と云ふのが御所の中で、古い御殿のやうな建物があつて、そこ…

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