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病室より
びょうしつより
作品ID48144
著者石川 啄木
文字遣い旧字旧仮名
底本 「啄木全集 第十卷」 岩波書店
1961(昭和36)年8月10日
入力者蒋龍
校正者阿部哲也
公開 / 更新2012-05-05 / 2014-09-16
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

五百二十一

 外は海老色の模造革、パチンと開けば、内には溝状に橄欖色の天鵞絨の貼つてある、葉卷形のサツクの中の檢温器! 37 といふ字だけを赤く、三十五度から四十二度までの度をこまかに刻んだ、白々と光る薄い錫の板と、透せば仄かに縁に見える、細い眞空管との入つた、丈四寸にも足らぬ小さな獨逸製の檢温器!
 私はこの小さな檢温器がいとしくて仕方がない。美しいでもなく、歌をうたふでもないが、何だか斯う、寒い時にはそつと懷に入れてまでやつて、籠の戸を開けても逃げない程に飼ひならした金絲雀か何ぞのやうに、いとしくて仕方がない。
 全一年の間――さうだ、私の病氣ももう全一年になる!――毎日々々時間をきめて、恰度それ一つを仕事のやうに、自分の肌のぬくもりに暖めて來た小さな檢温器!
 左の腋に挾めば冷りとする。その硝子の冷さも何となくなつかしい。枕邊の時計の針を見つめながら、ぢつと體を動かさずにゐる十五分の時間は、その日/\の氣紛れな心に、或時は長く、また或時は短かくも思はれる。やがて取り出して眼の前にかざす時、針よりも細く光る水銀の上り方は、何時でも同じやうに私を失望させる、『あゝ、今日もまた熱が出た!』
 さうして三分も、五分も、硝子に殘つた肌のぬくもりのすつかり冷えてしまふまでも、私はその小さな檢温器を悲しい眼をして見つめてゐることがある。さういふ時には、たゞ體温の高低ばかりでなく、自分にもはつきりとは分らない、複雜な氣分の變化までが、その細かに刻まれた度の上に表はれてゐるやうにも思はれる。また時とすると、一年の間も毎日々々肌につけてゐながら、管の中の水銀の色が自分の體の血と同じ色に變らないのを、不思議に思ふこともある。
 さうして裏を返せば、薄い錫の板には Uebes Minuten と栗色に記されて、521 と番號が打つてある。
 五百二十一! この數がまた私には、なつかしい人の番地のナムバーのやうに、何時しか忘られぬものとなつた。

金貨

 初めて日本が金貨本位の國であるといふ事を知つてから、もう何年になるだらうか。私はそれを學校の何の教師から教へられたのだつたか、今は全く記憶してゐない。が、兎も角も私は長い間自分等の國の貨幣制度が金貨本位である事と、それに伴ふ理論や利益に就いて多少の知識をもつてゐた。それからまた近頃になつては、現在殆ど世界中の人を苦しめてゐる物價騰貴の共通の原因が、近年の世界金産額の著るしく増加した事にあるといふ説明を、もう何種の論文で讀まされたか知れない。
 しかし私は、多くの日本人と同じやうに、まだ金貨といふものを自分の眼で見たことがない。また見たいと思つたこともなかつた。實際平生紙幣や銀貨ばかり使ひ慣れてゐる我々には同じ金額を受取るにしても、やつぱり使ひ慣れたもので受取つた方が、安心でもあり、便利でもあるやうな氣がする。
 ところが、…

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