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不穏
ふおん
作品ID48147
著者石川 啄木
文字遣い旧字旧仮名
底本 「啄木全集 第十卷」 岩波書店
1961(昭和36)年8月10日
入力者蒋龍
校正者阿部哲也
公開 / 更新2012-05-10 / 2014-09-16
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 其日も、私は朝から例の氣持に襲はれた。何も彼も興味が失せて、少しの間も靜かにしてゐられないやうに氣が苛々してゐた。新聞を見ても少し長い記事になると、もう五六行讀んだ許りで、終末まで讀み通すのがもどかしくなつて、大字の標題だけを急がしく漁つた。續き物の小説などは猶更讀む氣がしなかつた。
 さうして、莨に火をつけて何本も何本も喫つてゐると、私の心は隅から隅まで暗く淋しかつた。その暗い淋しい中に、私のそれと明らかに意識する事を怖れる、數限りない小さい失望と怒りが、重り合つて騷いでゐた。じつとしてゐると、涯のない航海に、見る見る風が立つて來て、それ彼處に白い波がと思ふと、間もなく前後左右の海が一樣に荒れて行くのを見るやうな氣持であつた。さうなると、自づと船の動搖を感ぜずにはゐられない。「斯うしてゐちや、今日も年老つた母をいぢめることになる」私はさう思つた。誰に罪があるのでもないが、子供の時に甘やかされた心の殘つてる所爲か、何か洩らさずにはゐられぬ不快のある時、母をいぢめるのが何時からとなく私の癖になつた。惡いとも思ひ、濟まぬとも思ふ。心にも無い事、自分ながら無理だと思ふ事までも並べ立てて、返事に困る母の皺だらけな顏を小氣味よく眺めながらも、心の半分だけは濟まぬと思つている。それでも止められなかつた。私の知人には、妻に對する不平を子供に洩して、無慈悲な父と思はれてゐる人もあるが、私にとつての一番の弱者は母であつた。子一人を頼りに、六十三にもなつて、三度の食事の仕度から八百屋豆腐屋の使ひまで、曲つた腰を延ばし、手づからせねばならぬやうな境遇にゐる母であつた。さうして、さういふ不快の原因と言へば、いつも、母ならぬ人には毛ほども悟られたくない、極く小さい詰らない事の失望やら怒りやらであつた。――
 何か母の言つたのには返事もせずに、私は突と立上つて机の前に來た。朝はまだ早くつて、西窓の障子の紙は薄雲のやうに光がなかつた。室の中は何處となく底冷がした。私は散らかつた机の上に重ねた紙を置き、ところどころ刄のこぼれた[#「こぼれた」は底本では「こばれた」]小刀で五本の鉛筆を交る交る削つた。削つてるうちに、兎も角も書くべき問題だけは頭の中に出來た。斯うして、私は、毎日田舍の新聞に通信を送らねばならなかつた。それによつて受ける些細の報酬も、私の現在の生活では決して些細とは言へなかつた。〔未完〕



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