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大硯君足下
たいけんくんそっか
作品ID48159
著者石川 啄木
文字遣い旧字旧仮名
底本 「啄木全集 第十卷」 岩波書店
1961(昭和36)年8月10日
入力者蒋龍
校正者小林繁雄
公開 / 更新2009-10-30 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 大硯君足下。
 近頃或人が第二十七議會に對する希望を叙べた文章の中に、嘗て日清及び日露の兩戰役に當つて、滿場一人の異議もなく政府の計畫を翼贊して、以て擧國一致の範を國民に示した外に、日本の議會には今まで何の功績も無いと笑つてゐた。私のこの手紙も其處から出立する。私はこの或人の物凄い笑ひがまだ/\笑ひ足りないと思ふ。かう言へば足下には直ぐ私の心持が解るに違ひない。實際それは彼の兩戰役の際の我々の經驗を囘顧して見れば、誰にでも頷かれる事なのである。日清戰役の時は、我々一般國民はまだほんの子供に過ぎなかつた。反省の力も批評の力もなく、自分等の國家の境遇、立場さへ知らぬ者が多かつた。無論自分等自身の國民としての自覺などをもつてゐる者は猶更少なかつた。さういふ無知な状態に在つたからして、「膺てや懲せや清國を」といふ勇ましい軍歌が聞えると、直ぐもう國を擧げて膺てや懲せや清國をといふ氣になつたのだ。反省もない。批評もない。その戰爭の結果が如何な事になるかを考へる者すら無いといふ有樣だつた。さうして議會も國民と全く同じ事をやつたに過ぎないのである。それが其の次の大戰役になると、前後の事情が餘程違つて來てゐる。事情は違つて來てゐるが、然し議會の無用であつた事は全く前と同じである。日露戰爭に就いては、國民は既に日清戰爭の直ぐ後から決心の臍を堅めてゐた。宣戰の詔勅の下る十年前から擧國一致してゐた。さうして此の兩戰役共、假令議會が滿場心を一にして非戰論を唱へたにしたところで、政府も其の計畫を遂行するに躊躇せず、國民も其の一致した敵愾感情を少しでも冷却せしめられなかつたことは誰しも承認するところであらう。――大硯君足下。こんな事を言ふのは、お互ひ立憲國民として自ら恥づべき事ではあるが、然し事實は如何とも枉げがたい。日本の議會は或人々から議會としての最善の能力を盡したと認められた場合に於てさへ、よく考へて來れば、全くあつても無くても可いやうな事をしてゐたに過ぎないのである。
 尤も彼の兩戰役……日清、日露……の時は、少くとも國民から恨まれるやうな事だけは爲出かさなかつたのであるから、平生善くない事ばかりやつてゐる議會に對しては、賞めて呉れても可ゝかも知れない。然しそれも、考へて見ると隨分危險な譯である。戰爭といふものは、何時の場合に於ても其の將に起らんとするや既に避くべからざる勢ひとなつてゐるものである。さうして其の時に當つては、外の事とは違つて一日一時間の餘裕もないものである。既に開戰された後にあつては猶更である。隨つて其處にはもう言議の餘地がない。假令言議を試みる者があるにしても、責任を以て國家を非常の運命に導いた爲政者にはもうそんな事に耳を傾けてゐる事が出來ない。是が非でも遣る處までは遣り通さなければならぬ。又さうする方が、勝利といふものを豫想し得る點に於て、既に避くべからずな…

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