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雨ばけ
あめばけ
作品ID48384
著者泉 鏡花
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本幻想文学集成1 泉鏡花」 国書刊行会
1991(平成3)年3月25日
初出「随筆」1923(大正12)年11月
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2009-05-23 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 あちこちに、然るべき門は見えるが、それも場末で、古土塀、やぶれ垣の、入曲つて長く続く屋敷町を、雨もよひの陰気な暮方、その県の令に事ふる相応の支那の官人が一人、従者を従へて通り懸つた。知音の法筵に列するためであつた。
 ……来かゝる途中に、大川が一筋流れる……其の下流のひよろ/\とした――馬輿のもう通じない――細橋を渡り果てる頃、暮六つの鐘がゴーンと鳴つた。遠山の形が夕靄とともに近づいて、麓の影に暗く住む伏家の数々、小商する店には、早や佗しい灯が点れたが、此の小路にかゝると、樹立に深く、壁に潜んで、一燈の影も漏れずに寂しい。
 前途を朦朧として過るものが見える。青牛に乗つて行く。……
 小形の牛だと言ふから、近頃青島から渡来して荷車を曳いて働くのを、山の手でよく見掛ける、あの若僧ぐらゐなのだと思へば可い。……荷鞍にどろんとした桶の、一抱ほどなのをつけて居る。……大な雨笠を、ずぼりとした合羽着た肩の、両方かくれるばかり深く被つて、後向きにしよんぼりと濡れたやうに目前を行く。……とき/″\、
「とう、とう、とう/\。」
 と、間を置いては、低く口の裡で呟くが如くに呼んで行く。
 私は此を読んで、いきなり唐土の豆腐屋だと早合点をした。……処が然うでない。
「とう、とう、とう/\。」
 呼声から、風体、恰好、紛れもない油屋で、あの揚ものの油を売るのださうである。
「とう、とう、とう/\。」
 穴から泡を吹くやうな声が、却つて、裏田圃へ抜けて変に響いた。
「こら/\、片寄れ。えゝ、退け/\。」
 威張る事にかけては、これが本場の支那の官人である。従者が式の如く叱り退けた。
「とう、とう、とう/\。」
「やい、これ。――殿様のお通りだぞ。……」
 笠さへ振向けもしなければ、青牛がまたうら枯草を踏む音も立てないで、のそりと歩む。
「とう、とう、とう/\。」
 こんな事は前例が嘗てない。勃然としていきり立つた従者が、づか/\石垣を横に擦つて、脇鞍に踏張つて、
「不埒ものめ。下郎。」
 と怒鳴つて、仰ぎづきに張肱でドンと突いた。突いたが、鞍の上を及腰だから、力が足りない。荒く触つたと言ふばかりで、その身体が揺れたとも見えないのに、ぽんと、笠ぐるみ油売の首が落ちて、落葉の上へ、ばさりと仰向けに転げたのである。
「やあ、」とは言つたが、無礼討御免のお国柄、それに何、たかが油売の首なんぞ、ものの数ともしないのであつた。が、主従ともに一驚を吃したのは、其の首のない胴躯が、一煽り鞍に煽ると斉しく、青牛の脚が疾く成つて颯と駈出した事である。
 ころげた首の、笠と一所に、ぱた/\と開く口より、眼球をくる/\と廻して見据ゑて居た官人が、此の状を睨み据ゑて、
「奇怪ぢや、くせもの、それ、見届けろ。」
 と前に立つて追掛けると、ものの一町とは隔たらない、石垣も土塀も、葎に路の曲角。突当りに大きな…

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