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霰ふる
あられふる |
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作品ID | 48385 |
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著者 | 泉 鏡花 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「文豪怪談傑作選 泉鏡花集 黒壁」 ちくま文庫、筑摩書房 2006(平成18)年10月10日 |
初出 | 「太陽」1912(大正元)年11月号 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 坂本真一 |
公開 / 更新 | 2015-11-07 / 2015-10-17 |
長さの目安 | 約 18 ページ(500字/頁で計算) |
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一
若いのと、少し年の上なると……
この二人の婦人は、民也のためには宿世からの縁と見える。ふとした時、思いも懸けない処へ、夢のように姿を露わす――
ここで、夢のように、と云うものの、実際はそれが夢だった事もないではない。けれども、夢の方は、また……と思うだけで、取り留めもなく、すぐに陽炎の乱るる如く、記憶の裡から乱れて行く。
しかし目前、歴然とその二人を見たのは、何時になっても忘れぬ。峰を視めて、山の端に彳んだ時もあり、岸づたいに川船に乗って船頭もなしに流れて行くのを見たり、揃って、すっと抜けて、二人が床の間の柱から出て来た事もある。
民也は九ツ……十歳ばかりの時に、はじめて知って、三十を越すまでに、四度か五度は確に逢った。
これだと、随分中絶えして、久しいようではあるけれども、自分には、さまでたまさかのようには思えぬ。人は我が身体の一部分を、何年にも見ないで済ます場合が多いから……姿見に向わなければ、顔にも逢わないと同一かも知れぬ。
で、見なくっても、逢わないでも、忘れもせねば思出すまでもなく、何時も身に着いていると同様に、二個、二人の姿もまた、十年見なかろうが、逢わなかろうが、そんなに間を隔てたとは考えない。
が、つい近くは、近く、一昔前は矢張り前、道理に於て年を隔てない筈はないから、十から三十までとしても、その間は言わずとも二十年経つのに、最初逢った時から幾歳を経ても、婦人二人は何時も違わぬ、顔容に年を取らず、些とも変らず、同一である。
水になり、空になり、面影は宿っても、虹のように、すっと映って、忽ち消えて行く姿であるから、確と取留めた事はないが――何時でも二人連の――その一人は、年紀の頃、どんな場合にも二十四五の上へは出ない……一人は十八九で、この少い方は、ふっくりして、引緊った肉づきの可い、中背で、……年上の方は、すらりとして、細いほど痩せている。
その背の高いのは、極めて、品の可い艶やかな円髷で顕れる。少いのは時々に髪が違う、銀杏返しの時もあった、高島田の時もあった、三輪と云うのに結ってもいた。
そのかわり、衣服は年上の方が、紋着だったり、お召だったり、時にはしどけない伊達巻の寝着姿と変るのに、若いのは、屹と縞ものに定って、帯をきちんと〆めている。
二人とも色が白い。
が、少い方は、ほんのりして、もう一人のは沈んで見える。
その人柄、風采、姉妹ともつかず、主従でもなし、親しい中の友達とも見えず、従姉妹でもないらしい。
と思うばかりで、何故と云う次第は民也にも説明は出来ぬと云う。――何にしろ、遁れられない間と見えた。孰方か乳母の児で、乳姉妹。それとも嫂と弟嫁か、敵同士か、いずれ二重の幻影である。
時に、民也が、はじめてその姿を見たのは、揃って二階からすらすらと降りる所。
で、彼が九ツか十の年、その日は、小学校の…