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清心庵
せいしんあん
作品ID48393
著者泉 鏡花
文字遣い新字新仮名
底本 「泉鏡花集成3」 ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年1月24日
初出「新著月刊」1897(明治30)年7月
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2009-04-19 / 2014-09-21
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       一

 米と塩とは尼君が市に出で行きたまうとて、庵に残したまいたれば、摩耶も予も餓うることなかるべし。もとより山中の孤家なり。甘きものも酢きものも摩耶は欲しからずという、予もまた同じきなり。
 柄長く椎の葉ばかりなる、小き鎌を腰にしつ。籠をば糸つけて肩に懸け、袷短に草履穿きたり。かくてわれ庵を出でしは、午の時過ぐる比なりき。
 麓に遠き市人は東雲よりするもあり。まだ夜明けざるに来るあり。芝茸、松茸、しめじ、松露など、小笹の蔭、芝の中、雑木の奥、谷間に、いと多き山なれど、狩る人の数もまた多し。
 昨日一昨日雨降りて、山の地湿りたれば、茸の獲物さこそとて、朝霧の晴れもあえぬに、人影山に入乱れつ。いまはハヤ朽葉の下をもあさりたらむ。五七人、三五人、出盛りたるが断続して、群れては坂を帰りゆくに、いかにわれ山の庵に馴れて、あたりの地味にくわしとて、何ほどのものか獲らるべき。
 米と塩とは貯えたり。筧の水はいと清ければ、たとい木の実一個獲ずもあれ、摩耶も予も餓うることなかるべく、甘きものも酢きものも渠はたえて欲しからずという。
 されば予が茸狩らむとして来りしも、毒なき味の甘きを獲て、煮て食わむとするにはあらず。姿のおもしろき、色のうつくしきを取りて帰りて、見せて楽ませむと思いしのみ。
「爺や、この茸は毒なんか。」
「え、お前様、そいつあ、うっかりしようもんなら殺られますぜ。紅茸といってね、見ると綺麗でさ。それ、表は紅を流したようで、裏はハア真白で、茸の中じゃあ一番うつくしいんだけんど、食べられましねえ。あぶれた手合が欲しそうに見ちゃあ指をくわえるやつでね、そいつばッかりゃ塩を浴びせたって埒明きませぬじゃ、おッぽり出してしまわっせえよ。はい、」
 といいかけて、行かむとしたる、山番の爺はわれらが庵を五六町隔てたる山寺の下に、小屋かけてただ一人住みたるなり。
 風吹けば倒れ、雨露に朽ちて、卒堵婆は絶えてあらざれど、傾きたるまま苔蒸すままに、共有地の墓いまなお残りて、松の蔭の処々に数多く、春夏冬は人もこそ訪わね、盂蘭盆にはさすがに詣で来る縁者もあるを、いやが上に荒れ果てさして、霊地の跡を空しゅうせじとて、心ある市の者より、田畑少し附属して養いおく、山番の爺は顔丸く、色煤びて、眼は窪み、鼻円く、眉は白くなりて針金のごときが五六本短く生いたり。継はぎの股引膝までして、毛脛細く瘠せたれども、健かに。谷を攀じ、峰にのぼり、森の中をくぐりなどして、杖をもつかで、見めぐるにぞ、盗人の来て林に潜むことなく、わが庵も安らかに、摩耶も頼母しく思うにこそ、われも懐ししと思いたり。
「食べやしないんだよ。爺や、ただ玩弄にするんだから。」
「それならば可うごすが。」
 爺は手桶を提げいたり。
「何でもこうその水ン中へうつして見るとの、はっきりと影の映るやつは食べられますで、茸の影がぼ…

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