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卵塔場の天女
らんとうばのてんにょ |
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作品ID | 48415 |
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著者 | 泉 鏡花 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「泉鏡花集成8」 ちくま文庫、筑摩書房 1996(平成8)年5月23日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2011-06-29 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 97 ページ(500字/頁で計算) |
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一
時雨に真青なのは蒼鬣魚の鰭である。形は小さいが、三十枚ばかりずつ幾山にも並べた、あの暗灰色の菱形の魚を、三角形に積んで、下積になったのは、軒下の石に藍を流して、上の方は、浜の砂をざらざらとそのままだから、海の底のピラミッドを影で覗く鮮さがある。この深秘らしい謎の魚を、事ともしない、魚屋は偉い。
「そら、持ってけ、持ってけ。賭博場のまじないだ。みを食えば暖か暖かだ。」
と雨垂に笠も被らないで、一山ずつ十銭の附木札にして、喚いている。
やっぱり綺麗なのは小鯛である。数は少いが、これも一山ずつにして、どの店にも夥多しい。二十銭というのを、はじめは一尾の値だろうと思うと、十ウあるいは十五だから、なりは小形でもお話になる。同じ勢をつけても、鯛の方はどうやら蒼鬣魚より売手が上品に見えるのも可笑い。どの店のも声を揃えて、
「活きとるぞ、活きとるぞウ。」
この魚市場に近い、本願寺別院―末寺と称える大道場へ、山から、里から、泊りがけに参詣する爺婆が、また土産にも買って帰るらしい。
「鯛だぞ、鯛だぞ、活きとるぞ、魚は塩とは限らんわい。醤油で、ほっかりと煮て喰わっせえ、頬ぺたが落こちる。――一ウ一ウ、二ア二アそら二十よ。」
何と生魚を、いきなり古新聞に引包んだのを、爺様は汚れた風呂敷に捲いて、茣蓙の上へ、首に掛けて、てくりてくりと行く。
甘鯛、いとより鯛、魴[#挿絵]の濡れて艶々したのに、青い魚が入交って、鱚も飴色が黄に目立つ。
大釜に湯気を濛々と、狭い巷に漲らせて、逞しい漢が向顱巻で踏はだかり、青竹の割箸の逞しいやつを使って、押立ちながら、二尺に余る大蟹の真赤に茹る処をほかほかと引上げ引上げ、畳一畳ほどの筵の台へ、見る間に堆く積む光景は、油地獄で、むかしキリシタンをゆでころばしたようには見えないで、黒奴が珊瑚畑に花を培う趣がある。――ここは雪国だ、あれへ、ちらちらと雪が掛ったら、真珠が降るように見えるだろう。
「七分じゃー八分じゃー一貫じゃー、そら、お篝じゃ、お祭じゃ、家も蔵も、持ってけ、背負ってけ。」
などと喚く。赫燿たる大蟹を篝火は分ったが、七分八分は値段ではない、肉の多少で、一貫はすなわち十分の意味だそうである。
菅笠脚絆で、笊に積んで、女の売るのは、小形のしおらしい蟹で、市の居つきが荷を張ったのではない。……浜から取立てを茹上げて持出すのだそうで、女護島の針刺といった形。
「こうばく蟹いらんかねえ、こうばく蟹買っとくなあ。」
こう言うのを、爪は白し紅白か。聞けば、その脚の細さ、みどころと云ってはいくらもない、腹に真紫の粒々の子が満ちて、甲を剥がすと、朱色の瑪瑙のごとき子がある。それが美味なのだという。(子をば食う蟹)か、と考えた。……女が売るだけにこれは不躾だった。香箱蟹だそうである。ことりと甲で蓋をしていかにも似ている。名の優しい香箱を売る姉…