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野口雨情民謡叢書 第一篇
のぐちうじょうみんようそうしょだいいっぺん |
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作品ID | 49172 |
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著者 | 野口 雨情 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「定本 野口雨情 第一巻」 未来社 1985(昭和60)年11月20日 |
初出 | 田舎乙女「民謡詩人」1928(昭和3)年1月、荷物片手に「民謡詩人」1927(昭和2)年12月、今立小唄「民謡詩人」1928(昭和3)年3月、美濃の関の唄(原題 美濃関町の唄)「民謡詩人」1927(昭和2)年10月、土投げ唄「民謡詩人」1928(昭和3)年7月、絹の裳裾「クラク」1928(昭和3)年3月、岡崎一口唄「民謡詩人」1928(昭和3)年6月、大函小函「民謡詩人」1928(昭和3)年4月、銀座の月「民謡詩人」1928(昭和3)年8月、山ほととぎす「令女界」1927(昭和2)年5月、霧雨(原題 あめ)「キング」1927(昭和2)年6月、旅の民謡 四章「民謡詩壇」1927(昭和2)年11月、山越え 山越え「婦人倶楽部」1927(昭和2)年12月、働け 働け「雄弁」1928(昭和3)年8月、伊奈波音頭「民謡詩人」1928(昭和3)年1月、撫子「キング」1928(昭和3)年6月、煙草「クラク」1927(昭和2)年9月、通り魔の唄「講談倶楽部」1927(昭和2)年4月、砂原「令女界」1927(昭和2)年8月、水がれ田「家の光」1928(昭和3)年1月、棉打唄「早稲田文学」1907(明治40)年6月、山越唄「早稲田文学」1907(明治40)年4月、棧敷の上「演芸画報」1921(大正10)年7月、十五夜「新声」1907(明治40)年5月、雉子が啼く(原題 ねん/\小唄)「少女倶楽部」1927(昭和2)年6月、千羽鶴「婦女界」1927(昭和2)年1月、枝垂柳「コドモノクニ」1927(昭和2)年6月、鏡「キング」1927(昭和2)年10月、田に居る鳥「金の星」1927(昭和2)年11月、春の雪「サンデー毎日」1927(昭和2)年1月9日 |
入力者 | 川山隆 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2010-05-12 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 14 ページ(500字/頁で計算) |
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田舎乙女
おまへは田舎の
乙女さま
お馬で朝草
刈りにゆく
山ほととぎすが
山で啼きや
お馬もお耳を
たてて聞く
山ほととぎすは
渡り鳥
あの山渡つて
どこへゆく
土蜂
草を刈ろとて
鎌研ぎしてりや
蜂がとんで来た
土蜂が
蜂を見てたりや
鎌で指切つた
指を見せたりや
蜂ア逃げた
窓
山を眺めたが
山は物言はぬ
空を眺めたが
空も物言はぬ
さうよ、ほんとに
じれつたい
窓に来て啼け
山ほととぎす
たより聞かせて
くれないか
さうよ、ほんとに
じれつたい
仙酔島
(仙酔島は広島県鞆の沖にあり)
どうせうきよぢや
せんすいじまよ
かよてこよなら
かよひもするが
人の心ととけいのはりは
一びやう一びやうとうつりゆく
田螺
田甫見てたりや
烏の鳥が
田螺たたいて
遊んでる
可哀想だな
田甫の田螺ア
たんこたんこと
たたかれる
荷物片手に
こんな恋しい
この土地すてて
どこへ行くだろ
あの人は
どこへ行くのか
わしや知らないが
荷物片手に
傘さげて
わしも行こかな
この土地すてて
荷物片手に
あの人と
今立小唄
(三里山は、福井県今立郡の平野中にあり。周囲三里と称さる。山麓に十数の農村あり)
三里山から(ヤンレ)
笛吹きながら
スツチヤン、スツチヤン
スツチヤン、チヤン、ト
鳶ア昼寝に(ヤンレ)
呼びに来る
スツチヤン、スツチヤン
スツチヤン、チヤン、ト
山で笛吹く(ヤンレ)
鳶の鳥と
スツチヤン、スツチヤン
スツチヤン、チヤン、ト
山で昼寝が(ヤンレ)
してみたい
スツチヤン、スツチヤン
スツチヤン、チヤン、ト
山で鳶と(ヤンレ)
昼寝をしたりや
スツチヤン、スツチヤン
スツチヤン、チヤン、ト
とうと薯芋(ヤンレ)
夢に見た
スツチヤン、スツチヤン
スツチヤン、チヤン、ト
美濃の関の唄
(この謡は美濃国関町の土地唄として書いたもので一名『美濃の関節』と称した)
関と言ふたとて関所もないに
なんのかんのと来てくれぬ
来る気か来ぬ気か言つてみな
言ひよによつては ドーンドーン
来いと言ふなら寝ずにも行くが
怖い人目の関がある
鬼でも棲むよなこと言ふて
その手でだまさば ドーンドーン
人目怖けりや暗夜においで
関も暗夜はたんとある
暗夜になつてもツンともない
かうなりや押しかけ ドーンドーン
土投げ唄
かつぽれ かつぽれ
この土 かつぽれ
池が出来たら
金魚でもいけて
ヨイト、…