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二葉亭四迷の一生
ふたばていしめいのいっしょう
作品ID49573
著者内田 魯庵
文字遣い新字新仮名
底本 「新編 思い出す人々」 岩波文庫、岩波書店
1994(平成6)年2月16日
初出「二葉亭四迷」1909(明治42)年8月1日号
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-07-20 / 2014-09-16
長さの目安約 106 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 二葉亭の歿後、坪内、西本両氏と謀って故人の語学校時代の友人及び故人と多少の交誼ある文壇諸名家の追憶または感想を乞い、集めて一冊として故人の遺霊に手向けた。その折諸君のまちまちの憶出を補うために故人の一生の輪廓を描いて巻後に附載したが、草卒の際序述しばしば先後し、かつ故人を追懐する感慨に失して無用の冗句を累ね、故人の肖像のデッサンとして頗る不十分であった。即ち煩冗を去り補修を施こし、かつ更に若干の遺漏を書足して再び爰に収録するは二葉亭四迷の如何なる人であるかを世に紹介するためであって、肖像画家としての私の技術を示すためではない。かつ私が二葉亭と最も深く往来交互したのは『浮雲』発行後数年を過ぎた官報局時代であって幼時及び青年期を知らず、更に加うるに晩年期には互いに俗事に累わされて往来漸く疎く、臂を把って深く語るの機会を多く持たなかったから、二葉亭の親友の一人ではあるが、そのボスウェルとなるには最も親密に交際した期間が限られていた。
 かつこの一篇は初めからデッサンのつもりで書いたゆえ、如何に改竄補修を加えてもデッサンは終にデッサンたるを免がれない。勿論二葉亭の文学や事業を批評したのではなく、いわば履歴書に註釈加えたに過ぎないので、平板なる記実にもし幾分たりとも故人の人物を想到せしむるを得たならこの一篇の目的は達せられている。更に進んで故人の肉を描き血を流動せしめて全人格を躍動せしめようとするには勢い内面生活の細事にまでも深く突入しなければならないから、生前の知友としてはかえって能くしがたい私情がある。故人の瑜瑕並び蔽わざる全的生活は他日再び伝うる機会があるかも知れないが、今日はマダその時機でない。かつ自ずから別に伝うる人があろう。本篇はただ僅かに故人の一生の輪廓を彷彿せしむるためのデッサンたるに過ぎないのである。下記は大正四年八月の旧稿を改竄補修をしたもので、全く新たに書直し、あるいは書足した箇処もあるが、大体は惣て旧稿に由る。

一 生いたちから青年まで

 二葉亭が明治二十二年頃自ら手録した生いたちの記がある。未完成の断片であるが、その幼時を知るにはこれに如くものはなかろう。曰く、
 余は元治元年二月二十八日を以て江戸市ヶ谷合羽坂尾州分邸に生れたり。父にておはせし人はその頃年三十を越え給はず、また母にておはせし人もなほ若かりしかば、さのみは愛し給ひしとも聞かざれど、祖母なる人のいとめでいつくしみ給ひて、父の叱り給ふ時は機嫌よろしからぬほどなれば、おのづから気随におひたてり。されど小児の時余の尤もおそれたるは父と家に蔵する鍾馗の画像なりしとぞ。
 幼なかりしころより叨りに他人に親まず、いはゆる人みしりをせしが、親しくゆきかよへる人などにはいと打解けてませたる世辞などいひしと叔母なる人常にの給ひき。
 六歳のころ父なる人自ら手本をものして取らし給ひつ。されど習…

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