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![]() むかしとうとく |
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作品ID | 49725 |
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副題 | 二千六百年を迎えて にせんろっぴゃくねんをむかえて |
著者 | 上村 松園 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「青帛の仙女」 同朋舎出版 1996(平成8)年4月5日 |
初出 | 「美術殿」1940(昭和15)年1月号 |
入力者 | 川山隆 |
校正者 | 鈴木厚司 |
公開 / 更新 | 2009-07-08 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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もう丁度、五十年の昔になりましょうかしら、たしか、私の十九歳の頃のことでした。明治二十五、六年の、忘れもしない四月二十一日の夜明方、隣の雑貨屋さんから火が出まして、私どもの家もおかげで半焼のうき目にあったのでした。その頃私たちは四条通りの非常に賑やかな通りにいまして、お茶々の商売を致してましたのです。
何でもランプを落としたのが火の始まりとかで、夜明けといってもまだ夜中のことでした。火事というので起きた時には、はやお隣さんは一面の火の海、もう私の家にも燃えうつってる様です。そうした有様なので何も取り出す暇がございません。愚図愚図して傷でもしたら大変と、母は手をとって促すのでしたが、私はただ呆然と焼けて行く我家のさまを、口惜しいやら悲しいやらで見とれていたのを今でも思い出します。
なにしろ、雑貨屋さんが火元だけに燃え易いものも沢山あるわけ、火の廻りが早かったのも、一つはそんなことでしたでしょう。しかし、何としましても、私には惜しいものばかり、まして奥の机には、苦心に苦心を重ねて集めました参考品に写しましたもの、それに大事な絵巻物や印材など、私にとっては金に換えがたいものばかりを蔵っていたのでございましたわけで、それだけは、どうしてもなくしたくなかったのでした。だが、結局そう申しましたわけで、家は半焼、私のそれらの物はすっかり焼失し、残ったものと言えば、商売のお茶々の壺ぐらいというさまでした。取り出そうにも何も、寝巻なりで飛び出した私は、気ばかりあせるだけで、泣くにも泣けずあの燃えさかる火の海をみてただけでございます。今考えてもこんな口惜しいことはないのですが、「まあ、人様に迷惑かけたのではなし、迷惑かけられたのがせめての慰め、寝るにも寝やすいわ」と、申します母の言葉を、そうだとは思いながら、あきらめきれぬ思いで聞いたものでした。
それでも全焼でなく半焼に終りましたので、すぐさま寝るところに不自由はなかったのでしたが、雨ふれば忽ち屋根もりするといった有様、なにしろ小さい時から育ちました家とて、去るにも去り兼ねる思いで、幾月か半焼の屋根の下に母子して暮しましたが、結局どもならんしで、丁度、高倉の蛸薬師下るに家がありましたので、そちらへ宿がえすることになったわけでした。
従来、私どもの家はお茶々を商うのが家の業いでございまして、蛸薬師下るの方へ移りましても矢張お茶々の商売をいたしました。火事でただ一つ焼け残ったお茶々の壺を抱いて移転したわけです。
その年の暮、ただ一人の私の姉は嫁ぐことになりまして、何かとそれまで我儘に暮しました私は、母と二人きりになったのでした。なにしろ母もまだ若く、私も二十にならぬころのことでございますし、その上、さきの四条通とはちがいまして、夜になると早々店を閉めるといった極めて静かな場所、それに昨日までいた姉もいず、随分と心細い思…