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冷かされた桃割娘
ひやかされたももわれむすめ
作品ID49728
著者上村 松園
文字遣い新字新仮名
底本 「青帛の仙女」 同朋舎出版
1996(平成8)年4月5日
初出「京都日出新聞」1936(昭和11)年2月11日
入力者川山隆
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2009-03-31 / 2014-09-21
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 いつも一番なつかしく若い頃を思い出させるのはその頃の縮図帖です。今の八坂倶楽部の地に有楽館というのがあって、森寛斎さんの創められた如雲社という集まりには京都中の当時の絵描が毎月十一日に集まって、和やかに色んな話をしたものです。その席上でも必ずお寺や町の好事家から昔の名画を参考品に七、八点出されるのが例になっており、それを一生懸命写し取ったものでした。それから当時は祇園祭の時分の屏風祭が又見ものでして、私共は今年はどこそこに応挙の絵が出るとか、山楽はどの家にあるとか聞いては写しに行ったものでした。
 八坂さんの絵馬堂にもよく行きました。北野の楊貴妃の図などは今もはっきり覚えています。当時はまだ絵具の色も十分残っていましたが、今はもう殆どあせ果てています。
 十三の歳に今の京都ホテルのところにあった府立画学校に入りましたが、一年程して鈴木松年さんの塾に移りました。
 この松年さんの塾とそのお父さんの百年さんの塾とが合同で、円山公園藤棚の所にあった牡丹畑という料亭に春秋二回大会を開いて作品を公開しました。
 当時はそういうときには、席上ということをやりまして、赤毛氈をしいた上に絵師が並んで扇子、短冊、色紙などへどうか御一筆と、来る人毎に簡単なものを描いて渡したものでした。
 松年塾には私の他に竹園さん梅園さんがいられて、三人の若い娘は桃割姿で赤毛氈の上に並んだものです。
「それ松竹梅がいやはるぞ」と半ば冷かされながら人気を呼んだものでした。春の円山、三人の桃割娘が赤毛氈に並んで所望される席画を淡々と描いてる風景など、昔を今になすよしもがなです。竹園さんはその後夭折され、梅園さん、絵専の中井宗太郎教授の姉さんは今もなお御健在です。思えば瞼に写る走馬燈は限りない絵草子を拡げます。
(昭和十一年)



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