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三味線の胴
しゃみせんのどう
作品ID49733
著者上村 松園
文字遣い新字新仮名
底本 「青帛の仙女」 同朋舎出版
1996(平成8)年4月5日
初出「都市と芸術」1930(昭和5)年3月号
入力者川山隆
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2009-03-31 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 うちの松篁は、私の顔を三味線だと言う。
 これは私の額口が、さよう独立的と言いますか後家星と言いますか、生え際が角ばっている。普通の女の人は生え際がせまくて山形になっている。ところが私はその反対に角がたっている。これは私ばかりではなく、うちのおばあさんも平たくなっている。つまり四角い。で「顔の輪廓が四角いあの三味線の胴みたいな」と、そんな悪口を言う。
 顔の道具立は、さて何と言いますか、さしずめ鼻は団子鼻というのではない。おばあさんや、姉やらに比較すると私のが一番ましでしょう、と言ってぺたんこになったというほど低くもなし、さりとてえらく高いというのでもない。それから目、これは小さい事もないらしいし、ひどく大きいということもない。口は小さいほうではない。大きい方かもしれない。
 一番特徴のあるのは髪の毛で、そのたけの長い事にかけては、髪結いさんに結わせるときっとびっくりする。解いてうしろに垂れると、裾に引きずる。昔の人には、それどころではないほど長い人もいたが、近来にはそんな長い人はなくなった。私がはたち時分に島田や桃割にしていると、髪結さんが困ったものだった。どういうわけかと言うと、そのあとの毛を根に巻きつけるとか、何処かにぐるぐると入れるのだが、私のは毛がながいために入れるところがない。それで私は櫛巻にしている。若い時分から櫛巻ばかりでつづけてきた。こうしておくとその手につかみ切れぬほど多い毛の始末にこまるということがない、で櫛も特に大きなのを使って、それにぐるぐると巻きつける。そうして外を歩くと、子供達が、あの人のまげは大きな髷だと言って、よく見られたものでした。その恰好が丁度、アルラカルラの仏像のあたまのようでした。でもいまはよほど少なくなったけれども……。
 私の毛は枝毛と言うのでしょうか、先の方へ行って、すぽっと細くなっていない。そのころは母に結って貰っていましたが、母も荷厄介にしていて、「また大たぐさに結う……」と言っては結ってくれたものです。
 櫛巻にしていると、簡単で、自分の手で出来て、身が楽で、つとやねかもぢを入れて、中ぼんのところがつるつるに禿げる事もなく、毛たぼをいっぱいにつめこんで、それで頭がむせるということもない。いままで秋になると毛が抜けるというようなこともありませんでした。
 すきな顔、芝居の中などで、新地などと言う廓方面の一流の誰々言う知名の美人にしても沢山みるけれども、そして矢張絶世の美人というものもあるが、九條武子さんのような人は少ない。目が美しかったり、口元がきれいだったりする人があるが、この人のような高い品位のある顔立、これはああいう名門の一つの貴族型というものがあるでしょう。文展の〈月蝕の宵〉を描いた時には、モデルになってもらって、横向きやら、七三やらの姿を写させて貰った事がある。
(昭和五年)



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