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鮎の試食時代
あゆのししょくじだい
作品ID49954
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人の美食手帖」 グルメ文庫、角川春樹事務所
2008(平成20)年4月18日
初出「星岡」1935(昭和10)年
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-01-08 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 あゆがうまいという話は、味覚にあこがれを持ちながら、自由に食うことのできない貧乏書生などにとっては、絶えざる憧憬の的である。わたしも青年の頃、ご多分に漏れず、あゆを心ゆくまで食いたいと夢にまでみた時代があった。この夢を実現したのは二十四、五歳のころであったろうか。もちろんそれまでにあゆを全く口にしなかったわけではない。だが、あゆ通の喜ぶ上等のあゆによって、あゆの美味をテストするという意気込みで食ったのは、その時が初めてであった。わたしは日光の大谷川のあゆをねらっていた。おそらく大谷川のあゆがうまいということをいつとはなしに聞いていたのだろう。わざわざ日光までなけなしの金を懐にして出かけて行ったのである。
 その時の価がなんでも一尾五、六十銭ぐらいであったと記憶している。それを二尾ばかり食ってみた。あゆは新鮮だし、色つやもよく、容姿も優れていて確かに一等級のものであったらしい。が、この時の偽らざる感じをいえば、うまいうまいとひとはいうが、なんだってこんなものが本当にそんなに美味なのかしら、というのが本音で、当時青年のわたしの味覚にはどうしてもしっくり得心がいかなかった。そうしてこの時以来、あゆの味はいよいよ真剣な宿題として残されたのである。
 その後しばらくしてうまいと思って食ったのは、京都の保津川のほとりにおいてであった。洛西嵐山の渡月橋を渡って、山の裾を七、八丁登ると、そこに嵐山温泉というのがある。ここで食ったあゆこそはなるほどと得心がいった。まったくうまいと思って食った。いつのころかはっきり憶えぬが、なんでも好況時代の絶頂に達したころででもあったろうか。ここのあゆは一尾五円を通常の値段としていたそうだ。
 織物で京都屈指の名家たる今出川堀川の北川の主人某が、かつてわたしに向かい、「京都であゆを食えば、まず通常は二円で立派なものが食えますね。ところが、嵐山に行って食うと一尾五円は出さなあきまへん。京都広しといえども、五円のあゆを嵐山まで食いに出かけるものは、京都人にもまずおらへんやろ」と、いうのである。
 そうしたご自慢を聞かされたわたしも、当時まだそういうふうに自由に食欲を満たすだけの財力を持たなかったから、うまいには相違ないと羨望しながらも、得心のゆくまで食うわけにはゆかなかった。ただいたずらに憧れるだけだった。
 ところが、三十歳くらいのころ、京都に帰省した時、ようやく宿願を達成することができた。あゆを食うくらいはなんとか都合がついたからであり、かつまた、内貴清兵衛という先輩のご馳走もたびたびあって、何十回となく各所を食い歩くことができたおかげであった。時には一日に二度も三度も吟味してみた。
 京都では、宇治の菊屋とか、山端の平八とか、嵯峨の三軒茶屋など、あゆを生かしておいて食わせる店が諸所にあった。そうしたところを片っ端から食い歩いて、どうやらあ…

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