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残肴の処理
ざんこうのしょり
作品ID49978
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人の美食手帖」 グルメ文庫、角川春樹事務所
2008(平成20)年4月18日
初出「星岡」1935(昭和10)年
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-01-05 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 星岡時代、残肴を見て感あり、料理人一同に留意を促すゆえんを述べたことがある。
 料理を出して、お客のところから残ってきたものを、他ではどんなふうに始末しているかわたしは知らない。わたしならその残肴を、お客がぜんぜん手をつけなかったもの、つけてもまだたくさん残っているもの、刺身は刺身、焼き魚は焼き魚というふうに整理して区分けし、これを生かすことを考える。こういうことは以前からしばしばみんなに話はしたものの、億劫がって実現されたためしがなかった。
 昔の料理人というのは、安っぽい人間が実に多くて、残肴の処理などといえば、いかにもケチな話のように聞き、真剣には耳を貸さないようであった。
 米一粒でさえ用を全うしないで、捨て去ってしまうのはもったいない。雀にやるとか、魚にやるとか、糊をこしらえるとか、工夫するのも料理人の心がくべきことだと思う。
 そんなことをいうのは、人間が古いと感ずるらしい。一椀の飯でも意味なく捨て去ってしまうことは許されない。用あるものは、ことごとくその用を使い果たすところに天命があるのだと思う。
 昨夜も遅くまで来客があった。当然残肴が出たわけだが、今朝ひょいと芥溜をのぞくと、堀川牛蒡その他がそっくりそのまま捨ててある。せっかく苦心して、うまくこしらえた高級野菜である。たいていの魚よりはよほど珍しく、珍重するに価する京都牛蒡が捨て去られてしまっている。女中に注意深い者でもいれば、こんなことはしなかったであろうに。料理人たるもの、いかに若いとはいえ、このようなことに無頓着であってはならない。
 堀川牛蒡というものは、茶味があり雅味がある。その上、口の中にカスが残らないという特徴をもっている。見かけが素人好みの美しさでないために、お客によっては、どんなにうまいものか知らないで、手をつけない場合もある。いったん客席に出されたものとはいい条、まるきり手をつけないまんま捨て去ったりしないで、後から賞味するくらいの道楽気があってほしいものだ。
 残肴には見るに忍びないほど傷められてくるものもあるが、多数の来客のある忙しい日になると、ぜんぜん手のつかないものも多くなってくる。
 もし料理人に心があったら、たとえ牛蒡の一片にしても、うまく処理して、まったく別の珍味として食べることを考えるべきだろう。残らず捨て去ってしまったり、珍味だということをなんにも知らない輩に、むしゃむしゃ食べさせてしまうのはもったいないかぎりである。甘だいの骨一つにしても、犬にやるとか、残飯を干飯にするとか、方法はいくらもあろう。
 料理人はせっかく手がけたものが充分食べられなかったり、手がつけられなかったりした場合は、もう一ぺんこれを生かして、自分達の味覚研究として、試食するくらいの機転がなくてはならない。経済的にいっても、もとよりの話であるが、料理人は料理で身すぎをする人間だ。い…

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