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貧民倶楽部
ひんみんくらぶ
著者泉 鏡花
文字遣い新字新仮名
底本 「泉鏡花集成2」 ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年4月24日
初出「北海道毎日新聞」1895(明治28)年7月
入力者門田裕志
校正者染川隆俊
公開 / 更新2020-11-04 / 2020-10-28
長さの目安約 113 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 六六館に開かるる婦人慈善会に臨まんとして、在原伯の夫人貞子の方は、麻布市兵衛町の館を二頭立の馬車にて乗出だせり。
 いまだ額に波は寄らねども、束髪に挿頭せる花もあらなくに、青葉も過て年齢四十に近かるべし。小紋縮緬の襲着に白襟の衣紋正しく、膝の辺に手を置きて、少しく反身の態なり。
 対の扮装の袖を連ねて侍女二人陪乗し、馭者台には煙突帽を戴きたる蓄髯の漢あり、晏子の馭者の揚々たるにて主公の威権想うべし。浅葱裏を端折りたる馬丁二人附随い、往来狭しと鞭を挙げぬ。
 かくて狸穴の辺なる狭隘路に行懸れば、馬車の前途に当って往来の中央に、大の字に寝たる屑屋あり。担える籠は覆りて、紙屑、襤褸切、硝子の砕片など所狭く散乱して、脛は地を蹴り、手は空を掴みて、呻吟せり。
 奮み行く馬の危く鰭爪に懸けんとしたりしを、馭者は辛うじて手綱を控え、冷汗掻きたる腹立紛れに、鞭を揮いて叱咤せり。
「こら、そこを退かんか馬鹿な奴だ。」
 夫人は端然として傍目も振らず、侍女二人は顔見合せ、吐息と共に推出す一言、「おお危い。」
 屑屋は眼を閉じ、歯を切り、音するばかり手足を悶えて、苦痛に堪えざる風情なりき。
 避けて通らん術も無く、引返すべき次第にあらねば、退けよ、退れと声を懸くれど、聞着けざるか道を譲らず、馬丁は焦立ちてひらりと寄せ、屑屋の襟首むずと攫めば、虫の呼吸にて泣叫ぶを、溝際に突放して、それというまま砂烟を揚げぬ。
 この時酒屋の檐下より婀娜たる婦人立出でたり。薄色縮緬の頭巾目深に、唐草模様の肩掛を被て、三枚襲の衣服の裾、寛闊に蹴開きながら、衝と屑屋の身近に来り、冷然として、既に見えざる車を目送しつつ、物凄き笑を漏らせり。屑屋は呻吟の声を絶たず。婦人はその顔を瞰下して、「こう、太の字太の字。」
「おい。」と眼を開けば、
「もう可い、起きな。何という不景気な顔色だよ。」
「笑いごっちゃアありませんぜ。根っから儲からねえ役廻だ。」
 と屑屋は苦も無く起上りぬ。健全無病の壮佼なり。知らず何が故に疾病を装いて、貴婦人の通行を妨げしや。
 頬被を取りて塵を払い、「危険々々。御馬前に討死をしようとした。安くは無い忠臣だ。」
 婦人は打笑み、「その位な事はしたって可いのさ。」
「あんまり好かあねえ。何しろ対手が四足二疋だ。」
「踏まれたら因果よ。白馬を飲む祟りだわな。」
「可笑くもねえ。」と落散る屑ども拾い込みてまた手拭に頬を包み、
「姉様、用は相済かね。」
「あいよ、折角お稼ぎなさい。」
「御念には及びやせん。はい、さようなら。」と立別れ、飯倉の方へ急ぎつつ、いと殊勝に、「屑はござい。」
 婦人は後に佇みて、帯の間より手帳を取出し、鉛筆をもて何やらん瞬もせず書き認め、一遍読返して、その紙を一枚引裂き、音低くしてしかも遠きに達る口笛を吹鳴らせば、声に応じて駈け来る犬あり。婦人はこれを見て、「じゃむこ…

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