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鬼を追い払う夜
おにをおいはらうよる
作品ID5011
著者折口 信夫
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆17 春」 作品社
1984(昭和59)年3月25日
入力者門田裕志
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2004-02-03 / 2014-09-18
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「福は内、鬼は外」と言うことを知って居ますか。此は節分の夜、豆を撒いて唱える語なのです。此日、村や町々の家々へ、鬼が入り込もうとするものと信じて居ました。それに対して、豆を打ちつけて追うのだと言います。今年はそれがちょうど、二月四日に当るのです。これは家々ですることですが、又社や寺でも、特別に人を選んで、豆撒き役を勤めさせます。
 又豆を年の数だけとって喰うこともあります。地方によっては、一つだけ余計に喰べる処もあります。これはもと一つはからだを撫でたものなのです。つまりからだについた災いを其にうつすつもりだったのです。門には前もって、柊の小枝を挿して置き、それに鰯の頭――昔は鰡の子のいなの頭――をつき刺して出しておいたものです。
 節分は冬が行き詰って、春が鼻の先まで来て居る夜と言うことなのです。だからこれらの事柄も、夜に行われる事が多いのです。
 ちょうど、鬼打ち豆を撒いて居る頃、表の方を、「厄払いましょう厄払いましょう」と言いながら通る者があることも知っているでしょう。これは「厄払い」と言うものです。そうして、呼びかける家があると、その表口に立って、その一家が、今夜から将来幸福になる唱え言を唱えて、お礼の銭を貰っては、又先へ出掛けます。
 春になる前夜の、賑やかで、そうして何処かにしんと静まった様子を想像して御覧なさい。暦を見ると、立春と言う日が、載ってありましょう。今年は、其が二月五日になります。冬が過ぎて春の来るのを迎えるについて、出来るだけ我々の生活にとってよくないものを却けて置いて、輝かしい幸福をとり入れようとするのです。昔から春と新しい年とが、同時に来るものと言う考えが、習慣の様に人々の頭にこびりついて居るので、立春が新しい春その前夜を意味する節分は、旧年の最後の夜という風に思われて居ました。だから、節分の事を「年越し」という地方も多いのです。年越しは、大晦日と同じ意味に用いる語です。
 九鬼家と言う古い豪族の家では、節分の夜、不思議な事を行われると言う噂がありました。ある時、松浦伯爵の祖先の静山と謂った人が、九鬼和泉守隆国と言う人に、あなたのお家では、節分の夜には主人が暗闇の座敷に坐っていると、目に見えぬ鬼の客が出て来て、坐りこむ。小石を水に入れて吸い物として勤めると、其啜る音がすると言うではありませんかと問いますと、其は噂だけで、そんな事はありません。唯豆を打つ場合に、「鬼は内、福は内、富は内」と唱える。其上、普通にする柊と鰯とは、私の家ではしないと答えられたと言う事です。
 此は言うまでもなく、家の名が九鬼である事から、それによって縁起を祝って、家の名に関係のあるものを逐い却ける様な事は一切しない事になったのでしょう。勿論、鬼は来るはずはありません。だが来た事もなかったとは言えません。来るのは勿論、鬼に仮装した人が出て来て、鬼となって逐…

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