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わか紫
わかむらさき
著者泉 鏡花
文字遣い新字新仮名
底本 「泉鏡花集成2」 ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年4月24日
初出「新小説 第十年第一卷」1905(明治38)年1月
入力者門田裕志
校正者染川隆俊
公開 / 更新2020-09-07 / 2020-08-28
長さの目安約 78 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

[#ページの左右中央]


みつぎもの  裏関所  丁か半か  室咲  日金颪  神妙候

御曹子  黒影白気  梅柳


[#改ページ]



みつぎもの




 伊豆のヒガネ山は日金と書いて、三島峠、弦巻山、十国峠と峰を重ね、翠の雲は深からねど、冬は満山の枯尾花、虚空に立ったる猪見るよう、蓑毛を乱して聳えたり。
 読本ならば氷鉄といおう、その頂から伊豆の海へ、小砂利交りに牙を飛ばして、肌を裂く北風を、日金颪と恐をなして、熱海の名物に数えらるる。
 冬季にはこの名物、三日措き五日措きに、殺然として襲い来るが、二日続くことはほとんどない。翌日は例のごとく、嘘のように暖く、公園の梅はほんのりと薫って、魚見岬には麗かな人集合。熱海の土地は気候が長閑で、寒の中も、水がぬるみ、池には金魚がひらひらと、弥生の吉野、小春日の初瀬を写す俤がある。
 さてこの物語の起った年は、師走から春の七草かけて、一たびも日金が颪さず、十四五年にも覚えぬという温暖さ、年の内に七分咲で、名所の梅は花盛り、紅梅もちらほら交って、何屋、何楼、娘ある温泉宿の蔵には、雛が吉野紙の被を透かして、あの、ぱっちりした目で、密と覗いても見そうな陽気。
 時ならぬ温気のためか、それか、あらぬか、その頃熱海一町、三人寄れば、風説をする、不思議な出来事というのがあった。仔細はない、崖の総六が背戸の、日当の良い畑地に、二月の瓜よりもなお珍とすべき、茄子の実が生りました。
 総六は、崖の、と呼ぶ、熱海の街を突切って、磧のような石原から浪打際へ出ようとする、傍の蠣殻屋根、崖の上の一軒家の、年老いた漁師であるが、真鶴崎へ鰹の寄るのも、老眼で見えなくなったと、もう鈎の棹は持って出ず、昼は人仕事の網の繕、合間には客を乗せて、錦の浦遊覧の船を漕ぐのが活計。
 仇しあだ浪いとまなみ、がらがらと石を捲いて、空ざまに駈け上る、崖の小家の正面に、胡坐を総六とも名づけつびょう、造りつけた親仁のように、どっかりと臀を据え、山から射す日に日向ぼっこ、海に向うて朝から晩、暮れると、浪枕、やあ、ころりとせ。
 沖から遠眼鏡で望んだら、瞬する間も静まらず、海洋の蒼き口に、白泡の歯を鳴らして、刻々島根を喰削らんず、怖しき浪の頭を圧えて、巌窟の中に鎮座まします、世に頼母しき一体の羅漢の姿に見えるであろう。
 総六親仁は、最初、この茄子の種を齎らして、背戸へこぼして行ったのは、烏に肖て翼違い、雉子のようでやや小さく、山鳥かと思うと嘴の白い、名を知らぬ、一羽の鳥であったという。
 かつその鳥は、小春日の朝、空が曇って、大島が判然と墨で描いたように見えた時、江浦、吉浜の空を伸して、遠く小田原の城の森から、雲の上を飛んで来て、ふうわり、足許へ来て留った、そこから苗が出来たというのであるが、鳥はこの親仁が、名を知らぬものだったかも計られぬ。
 小田原より…

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