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日本美
にほんび
作品ID5012
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆58 月」 作品社
1987(昭和62)年8月25日
入力者門田裕志
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2004-01-02 / 2014-09-18
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

私は日本の民俗の上からお話を申し上げたいと思つてゐます。譬へば、貴女方が花をお活けになる、さうした我々に芸術的感銘をお与へにならうとする花よりも、もつとうぶな花、宗教的な花の話をしてみたいと思ひます。
八月の月見、日本では月見が存外新しいことのやうに思つていらつしやるかも知れませんが、世の中の習慣は印象の深いものだから、月見が来ると花をお供へになるでせう。何故月見に花を供へるか。この花と立花・生花と、何か関係があるのではないかとお思ひになつたことはありませんか。
そして月見の行事の心の底には、昔から伝つてゐるお月様を神様と感じる心が残つてゐる。さういふ風に昔の人が、月夜見命などゝいふ神典の上の神の感じとは別に、月の神を感じて居り、その月の神に花をさしあげるのが、月見といふのです。月見はお月さんのまつりのことです。その花をどうするかといひますと、あれは今日西洋式の宴会を開きますと、色々な花を飾る。さういふ風に、日本でも昔から花を飾つてゐます。その証拠には婚礼の時、以前には何処でも行つたことですが、今は特に古風な婚礼の場合にしか見かけなくなりました。座敷に島台を飾つておきます。高砂の尉と姥の飾りつけをした、この島台は何かと申しますとこれが宴会の花と同じことなのです。島台のことを古くは洲浜と言つてゐます。水の流れてよつてゐる洲のことで、島台の形に何かうね/\した波の寄る砂浜の様子が見えてゐるからかう言ふのでせう。京都の古風なお菓子に「洲浜」といふのがあることは御存じでせう。さういふ川の砂浜の様子をかたどつた台の上に、色々なものを飾つたものです。人形を飾ることも、植物を飾ることもあります。さういふ動物・植物をのせて宴会の席に飾る訣で、江戸時代の中頃までは、正式な宴会の絵を見ると、屋敷の中心に洲浜が飾つてありますし、又、舟遊山の時にも洲浜の据ゑてあるのが描いてあります。普通は草の花木の枝を飾り、場合によると人形を飾ります。
で、つまり、婚礼ばかりでなく、宴会の時にも飾つたので、これを飾るのは、それを目あてにしてお客が来られる様に飾つておく訣なのです。普通の宴会だと前から招待して連れてくるから、別に遠くから目あてにくる必要はない。日本の宴会は大昔から行はれてゐました。さうしてその宴会の精神は元は、もつとはつきりしてゐました。昔は神を迎へたのです。さう言ふことは近代の宴会でも察せられますが、昔はずゐぶん変つてゐたのでせう。神が天から降りて来られる時、村里には如何にも目につく様に花がたてられて居り、そこを目じるしとして降りて来られるのです。だから、昔の人は、めい/\の信仰で自分々々の家へ神が来られるものと信じて、目につくやうに花を飾る訣なのです。併し、神によつて供へる花が変ります。花のない常磐木の枝や、薄の穂なども、目につくやうに立てます。場所によると人間の姿をしたものをた…

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