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石段上りの街
いしだんあがりのまち
作品ID50221
著者萩原 朔太郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本随筆紀行第五巻 関東 風吹き騒ぐ平原で」 作品社
1987(昭和62)年10月10日
初出1919(大正8)年
入力者向山きよみ
校正者土屋隆
公開 / 更新2010-03-27 / 2014-09-21
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私の郷里は前橋であるから、自然子供の時から、伊香保へは度々行つて居る。で「伊香保はどんな所です」といふやうな質問を皆から受けるが、どうもかうした質問に対してはつきりした答をすることはむづかしい。併し簡単に言へば、常識的の批判からみて好い温泉である。ここに常識的といつたのは、自然や設備の上で中庸といふ好みを意味して居る。だから特別の新らしい趣味で、赤城や軽井沢のやうな高原的風望を好いといふ人や、反対に少し古い趣味で塩原のやうなアカデミツクの景色――山あり、谷あり、滝あり、紅葉ありといつたやうな景色――を悦ぶやうな人や、その他特別の意味での情趣をたづねるやうな人には、伊香保はあまり好かれない温泉である。併しその特別の奇がないだけ、それだけ感じの落付いたおつとりした所でもある。平凡と言つた所で、決していやな感じがする平凡ではない。言はば中産階級の温良な良家の娘をみるやうに、どこか親しみのある線の柔らかい自然である。特別に好いといふでもないが、さうかと言つても悪い気もしない。若い新趣味の人には食ひ足らず、古い老人には漢詩的風情がなさすぎる所から、一般に伊香保の愛顧者は温健な婦人に多い。私が伊香保を常識的だと言つたのは、先づかういつた意味である。
 併し、女性的とはいへ、山の温泉であるから、樹木が多く、雲や霧がふだんに立ちこめて、山巒といふ感じは充分にある。鶯や駒鳥はいつも鳴いてゐるし、樹陰の深い緑は所々にあるし、それだけで山間の別天地をなした鮮新な温泉町としてゐる。前に言つたやうな特別の注文さへなければ、だれも閑雅な好い感じをもつことができる温泉である。設備の点からいつても、決して人を不快にするやうな者ぢやない。勿論、箱根あたりとくらべれば、全体に田舎めいてゐるが、併しそれも、悪い意味での田舎くさい感じはあたへない。千明とか木暮といふ一流の旅館なら、相当にゆつたりした寝起をすることができる。
 私は可成所々――所々といつても東京附近だが――の温泉を歩いたが、未だこれといふやうな温泉には一つも行きあたらない。どこも皆面白くない。就中、信州の渋とか湯田中といふやうな百姓めいた温泉、言はば「田舎者の湯治場」といつた感じのする所は何より嫌ひだ。さうした所は、単に温泉町そのものの気分が田舎めいて陰気くさいばかりでなく、周囲の自然そのものからして、妙に百姓じみて感じが重苦しい。私は鮮緑といふやうな明るい感じがすきだから、百姓風のぢみくさい気分は陰気でいやだ。尤も野州の那須のやうに、温泉場としては、代表的な「田舎者の湯治場」でありながら、自然としては極めて明快な高原的眺望をもつた所もある。次でだから言ふが、那須野の自然は実際好い。軽井沢に似て、も少し感じが粗野であるが、それが如何にも処女地といふ新鮮な響をあたへる。どこからどこまで「青春」とか「若さ」とかいふ叙情的の印象がみなぎ…

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